はじめまして。わたしは麻原彰晃の娘です。
1、はじめまして。わたしは麻原彰晃の娘です。
私の父は、かつてオウム真理教の教祖(主宰者)でした。当時、わたしは教団内でアーチャリーという名前(宗教名)で呼ばれていました。 そのため、わたしはこれまで、マスコミからは「三女アーチャリー」と呼ばれてきました。わたしには他にもきょうだいがおり、アーチャリー というだけでは父の何番目のこどもなのかが分かりにくかったからだと思います。
なお、マスコミとマスメディアと同じ意味に用いる用法もありますが、ここでは、 マスメディアが新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・インターネットなどの媒体を意味し、マスコミはそれによって不特定多数の人々に 大量の情報が伝達することとして用いることにします。
「はじめまして。わたしは麻原彰晃の娘です。」への3件のフィードバック
ゴジラ対ビオランテ
約12年ぶりに東宝からゴジラ映画が公開された。シンゴジラとの事、未だ観てないが評判は良い様である、
先日にゴジラ対ビオランテなる映画のDVDを借りて観た。20年以上も前の作品である、
ゴジラと自衛隊との激闘でゴジラから飛び散ったそのゴジラの肉片のゴジラ細胞をある国が持ち去りそのゴジラ細胞の研究をしていた。
そのゴジラ細胞がふとした事で古代植物の細胞と融合しビオランテが誕生する、
ゴジラの細胞から生まれたビオランテはゴジラとの激闘の末に呆気なく2度にわたり倒されるが、ビオランテは倒される度にその進化を遂げるのである、
単なる単なる無機質な機械ロボットなどではない有機体生命のゴジラの強さ根源がここにある、
例えゴジラが倒されてもその生命体の細胞は分離して生き続け他の生命細胞との融合により新たな生命体を形成し進化し生き続けるのである、
オウムは死んで無くなってなどはいない、そのオウムの細胞はアレフに生き続けそことも分離した上祐さんやその上祐さんとも反目する麗華さんの中にも生き続けている、
これは生命体の生き延びて進化を遂げる選択の多様化の性質からである、
間違ってはいけないのはオウムは暴力団のヤクザなどと違いその生命体の活動目的が私利私欲の犯罪ではないはずである、
上祐さんにせよ麗華さんにせよ他のオウム元幹部にせよオウムの生命体を引き継ぐその細胞である事に変わりはない、
その価値ある強い生命体の細胞を世間の軽薄で本質的に無価値な世界に埋もれさせ終わらせては決してならない、
例え辛く棘の道で途方もなく困難が待ち受けていようとも過去のオウムの過ちを反省しその過ったオウムを自らがその現実を受けとめその過去のオウムを否定し新たな生命体として形成しその進化を遂げる事が、麗華さんのその紛れもないその使命である、
麻原彰晃との対話
私は幼い頃によく大人に可哀想な子供だと時々言われました。
私は生まれた家庭の境遇や育った家庭があまり良いとは言えず、ろくに教育も受けてはいません、
しかし障害者な訳でもなくホームレスな訳でもありません、世の中には、生まれながらの障害者や極度の貧困でのホームレスなども多くいるのに、何故に自分は可哀想な子供と言われるのか理解出来ませでした。
大人になりその可哀想な子供と言われる意味が分かる気がしています。
人間には生まれながらの障害の有無や貧困などとは別に生まれながらの境遇の不幸の様なその人間を包む何かがある様に思える、
麻原彰晃こと松本智頭夫も私とは違う内容でのその生まれながらの水俣病からの視覚障害のその境遇からの包む不幸がある様に思える、
しかしこの生まれながらの不幸を背負う者はその不幸のせいか通常の者とは違う者の見方や考え方に陥るものである、
松本智頭夫の場合は結えにカルトとは言え強力な教祖の麻原彰晃になり得たとも思える、
その麻原彰晃はその役としての松本智頭夫はその不幸な境遇でのカルトによる最悪な結末としての死刑囚として20年に及ぶ拘置所でのその精神が破壊された状態がいつ終わるか分からなく現在も続いている、
もしこの麻原彰晃がカルトであれ真の教祖であり、最終解脱者ならその役目を負っていた松本智頭夫の状態とは関係なく誰もがその心で麻原彰晃との対話が可能なはずである、
麻原彰晃は松本智頭夫を強力な教祖に用いた根源でありその最悪の結末の元凶でもある、しかしその最悪の結末の原因は松本智頭夫が麻原彰晃の役目を果たせなく、自滅の崩壊に陥ってしまった事にある、
しかして我々はその役目をしていた松本智頭夫でなく本来は生身の人間などではない想念の産物の麻原彰晃と会話が誰もが可能である、
これは麗華さんも私も誰もがその条件は同じである、
あくまで麻原彰晃は松本智頭夫ではなく想念の産物でありその中にいる、
麻原彰晃にその想念の中で語りかけ麻原彰晃からその答えがあるなら我々はその麻原彰晃の細胞としての役割と課せられし使命があるのである、
様々なことがあったと思います
これからもあると思います
私はあなたのことが好きです。人として愛しています。
だから、これからも応援しています。