2016年 明けましておめでとうございます
昨年はお世話になりました。
新年、明けましておめでとうございます。
昨年は『止まった時計』を出版していただき、わたしの人生の中で、父・麻原彰晃(松本智津夫)が逮捕された1995年に次ぐ、大きな変化の年となりました。
新しい出会いがあり、多く方々に支えられ、さまざまな経験をさせていただきました。自分自身のありのままを表現し、等身大の自分を自覚したことから、前向きな気持ちの日が多くなっています。支えてくださっている方々への感謝の気持ちが強くなってきました。
今まで、居場所がないと感じていましたが、わたしが気づけなかっただけで、居場所はあったのですね。本当にありがとうございます。
本年は自分自身にできることを一つ一つ積み重ねていきたいです。そして、出来事に自分をコントロールされるのではなく、自分が人生の手綱を握れるようになることを目指します。
本当の強さは、自分を大切にするということかもしれないと最近よく考えています。まだまだ自分を大切にすることが上手にできませんが、いつか自然と変わっていければうれしいです。
写真は、夕べの年越しうどんです。
そばにアレルギーがあるので、よもぎうどんにしましたー。
現在、Facebookの確認が月1回から2回ほどになっています。またTwitterのお返事もなかなかできなくなっています。いただいたお返事は確認していますので、よろしければ今まで通りお送りくださいね。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとって、よい一年となりますように☆彡
「2016年 明けましておめでとうございます」への45件のフィードバック
この絵、宇未さんのイメージがありますけど、和風美人で素敵ですね。
今年がよい年でありますように祈っています!
とりあえず、新年ってやつだね。
ま、またメッセージ送りますわ。
明けましておめでとうございます!
身体的にも心(精神)的にも疲れてる感じで
何も手がつかないというか
何をしたら良いかわからずぼーっとしてる時間が増えた気がします。
変わらなければいけないことにこだわり過ぎてる事で現実との調整が上手く出来ていないのかも?
ご自愛ください。
ペコリ(o_ _)o))
明けましておめでとうございます♪
今年もよろしくお願いします♪
今までの生き方の運命を打ち破れ、本当の麗華さんになって本来の出せてなかった麗華さんが出てきそうですね。
その時は、緊張感も焦る事も無く素のままの麗華さんになっているに違いない!
明けましておめでとうございます!
今年も色々なことがあるかもしれませんが、良いことが多い年になればいいですね。
応援しております。
今年もよろしくお願いいたします!
昨年は『 止まった時計 』を出版して、顔出し&実名公表しただけでも驚いた。さらにテレビ出演を繰り返し、ツイッター&フェイスブックを始めて、イベント開催も繰り返したのだからもうすごいとしか言いようがない!!
昨年12月に公安調査庁に「 アレフの現職役員 」と認定された時はどうなるかと思ったけど、終わってみれば大逆転の一年だったのかな。大変な事もいろいろあったとは思うけど。
「 今年は何をやってくれるのか 」という期待はあるけど、過剰な期待はいけないね。
麗華さんにとって良い一年でありますように。
あけましておめでとうございます。
久々に出た、画伯の絵!
新年明けましておめでとうございます。
年賀のコメントも皆さんいつもの方々からで何よりですね、
今年は麗華さんを囲んでの生きずらさを語り合える様な皆さんとの交わりの場を定期的に何処かで持ちたいものです。
とかく世間の人々は自分の居場所を探しそれを見付けと言いますが、
何かの事でその自分の居場所は簡単に崩れ去ります。
つまりとかく世間での自分では自分の居場所を見付けたと思ってもそれは所詮は砂上の楼閣に過ぎません、
麗華さんも同じで麗華さんの場合は尚更にその境遇から世間での自分の居場所は見付け難い無いと思われます。
しかしその世間から見付け出す自分の居場所が砂上の楼閣であり無い事をその境遇から知らされているのは逆に良い事です。
自分の居場所は見付けるのではなく自分で造り出す事です!何処にも自分が住む空き家など落ちてはいません!目の前が、たとえ荒れ野でもそこに石を敷き詰め積み上げ自分の家を建てて行くしかありません!そこが本当の自分の居場所になります。
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵、
明けましておめでとうございます。
麗華さんが責任ある生き方、意味ある人生を送られることを見守っています。
あっ、そうそう偶然ながらこんな記事を見つけました
http://gossip1.net/archives/1022283642.html
”悟りとは心の動きあるいは真我がどのようにして闇の中に入っていくかをね、客観的に見て理解できる状態のことなんだ”ってあながち的外れなことを言ってないようにも思えますね。悟りを開いた人というのは、悟りを開いたときの心境のことをよく覚えているものです。しかし悟りを開いていない人からすればその心境を共感することは難しい。
社会現象にもなったエヴァンゲリオンの”まごころを君に”っていう映画があるんですけど、アスカが復活するシーンは悟りを開いている姿そのものなんですけど、大半の人はアスカがおかしくなったか、または完全には理解できていないからその心境をつかめていないように見えるんですよね。
多分、あの映画を見た総観客数の0.05%くらいしか理解されてないのではないでしょうか。宗教的センスがあればわかるはず!さああなたもレッツトライ!
長文失礼しました
明けましておめでとうございます。今年も
アイラブユ〜サンキュ〜
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
明けましておめでとうございます。
久しぶりの書き込みですが、いつも麗華さんのブログやツイッターを読んで元気をもらっていますよ!
今年も良い年になりますよう、心からお祈りしています。
居場所ありますよ。安心して下さいね。
カンセラーとしてご活躍されていらっしゃるとの事ですよね。今まで以上に、他人に夢や希望、そして、困って居る人等…の味方になって、相談に載ってあげらる様に期待して居ますよ!人は誰もが宝石です。頑張って
自分が変われば、相手が変わる、相手が変われば、国土が変わる。
自分が成長すればするほどほど、居場所が広がりますよ、頑張れ!
私は自身の居場所は見付ける事でなく、あくまで自身で造り上げる事だと思います。
何処かに自身の居場所を見付ける事があるかも知れません、しかしそれは所詮は砂上の楼閣に過ぎません、多少の波風や揺れで簡単に崩れ去ります。
目の前に広がる荒野に何処からか石を切り出し敷き詰めて積み上げる、
その石も何でも良い訳ではなく、良い住み家を得るならそれなりの石のある山に出向いて良い石を自ら山から切り出し運び出さないとなりません、
お父様の麻原さんはそれをしましたね、麻原さんはその誰よりその石工大工の名人でした。
しかし麻原さんは社会的な強い上昇思考の政治家になる野心によりその自らが築いた住み家を崩壊させその瓦礫の中で潰れ埋もれてしまいましたね、
麗華さんにはそのお父様から受け継ぐ強い社会的上昇思考がある様に思えます。所詮、虚飾に満ちた世間は価値がありません、それを思い知らされる前に気付きましょう、
はじめまして。
僕は当時子供だったのでオウム真理教がおこした事件はあまり知りません。
ですから、軽率なことは言えないけど、今頑張っているあたなを応援したいと思います。
頑張って(^^)
解脱を目指しているオウム信者がこの問いに諭せないとは大したことないな。
100点とは言わぬ、80点の答えを出せば認めるのに。
自己完結の塊、砂上の楼閣の集団ですな。
ボクは、30歳のありきたりな男性です。
さきほど著書を拝読し、ふと思い立ってお名前を検索したところ、こちらのblogやTwitterにたどりつきました。
ちょっと驚き・・・。
いまどきの女の子って感じ
びっくりした
でも、カラフルなのはとてもいいことだと思う。
ボクも食事には栄養だけじゃなく彩りにも気を使うから。
アーチャリーさんのお父さんが捕まった時期に、ちょうどオウムを一生懸命やってたものです
僕は今でもオウムは本当だったんじゃないか?と思って、超越神力を聴いたりクンバカやったり蓮華座組んだりしてますけどね
アーチャリーさんがどう思われるのかはわかりません
アーチャリーはかわいいですね
アーチャリーさんのこと好きです
↓a さん
まだこんな人いるんだ(笑)
時代遅れ。
それとも、現役アレフ信者さんかしら?
さすがに一般人はね、こんな暇な書き込みしないと思うんですよ^_^;
↓
(゚∀゚)年越しうどん、うまそう☆(゚∀゚)そばアレルギかわいそう(゚∀゚)アレルギーて急になるから困るm(>ω<)m゙
仏教ではこんな話があります
生きることも死ぬこともできない極限状態の精神状態の中で、手と手を合わせて仏に救いを求める
すると仏がこちらを向いて手と手を合わせている。
このことに気づいた人は言葉では言い尽くせないほどの救いを感得するのです。
感得した人は麻原の話も一理あったと惑わされず見ることができるでしょう。映画のエヴァのアスカ復活もその心境を察することができるでしょう。
この心境を獲得したのはオウムの修行をしたからではなく独学のため、解脱するにはオウムの修行など必要ないと言いきれる
そういえば。
最近は触れられなくなっていますが
裁判のことなども
また記事にしてくださいね。
本年もぼちぼち始動という感じでしょうか?
イベントなどでまた、麗華さんの声を聞けるのが楽しみです。
麗華さんの声はなぜか癒されるのですよ(笑)
麗華さんや麻原さんに対するあらゆる誹謗中傷や罵詈雑言などのコメントは、無条件に全て削除しない事を望みます。
それらのコメントは世間の麗華さんや麻原さんに対する考えの表れであり
ある意味で世間の軽薄で残忍な本質の表現でもありそれらを通じて世間の虚しさを知るからです。
全て削除しないで行きましょう、
それらは逆に麗華さんの正統性を証明する事になります。
かなり遅れましたが、
麗華さん、あけおめ、ことよろです!
で、さっそくですが
私はゴラスさんの主張に全面的に賛同します。
できることなら削除しないでください。
a様
私は貴殿の主張に関しその必然性は認めますし、
貴殿が主張するエピソードなども恐らくは事実なんだろうとは思います。
それに麗華さんのこのblogでのスタンスは問題もある様に思えますな、
今の麗華さんには批判も必要な事でしょう、
しかし貴殿のこの主張の内容では、批判になってはいません、単なる外野の罵詈雑言のヤジですな、単なる鬱憤の捌け口にしか見えません、
逆に麗華さん花を持たせますな、
批判をするなら客観的な事実に基づいてのその論評をするべきです。でないと批判の意味が無い、
それに麗華さんは自身の境遇に真っ向から向き合っています。たとえその麗華さんにはその計算があったとしても通常中々出来る事ではありません、相当の勇気がいります。
並みの者ならこの境遇を背負わされたら逃げ出して押し潰されますよ、
なので麗華さんのその境遇に真っ向から向き合っている姿勢だけはaさんも認めて欲しいと思いますな、
私も本当はいっぱい言いたいことはありますが…これでも抑えて書きます。(管理人さん、嫌だと思ったら私の書き込みを削除お願いします。)
事件のこと…罪は罪として当然私は、犯罪そのものは憎んでおります。麗華さんに優しく接している人達がいるからといって、その人達が『犯罪そのもの』は正しいと思っているのかというと、決してそういうことではない。
顔を晒して活動されている麗華さんに
名前も顔も晒さず、高見の安全な場所で
顔と名前を晒している人に対し罵詈雑言を吐くのはフェアではなく
決して「正義」ではない。
「正義」の皮を被った別のものだろう。
また、追い詰められ自死の道を選んでしまった被告家族もおられる。
本当に「正義」だというのであれば、被害者に寄付をするべき。ここで暴言を吐くのは「正義」ではない。
麗華さんが決めた規定を超えてのコメントの乱発にて麗華さんや管理者様には申し訳なく思っています。他のコメント者も然程多くはない様ですので、再度失礼して、
私はa様や光らない源氏様によく認識し考えて欲しい事は前提となる麗華さんの立場と麗華さんのその価値です。麗華さんの立場と価値、
過去の一連のオウム事件当時に教団にいた麗華さんが教団でどの様な実権がありどの様な認識でいたかは私は分かりません、
しかし麗華さんはその境遇からして一連のオウム事件の加害者ではなくあくまで被害者です。この麗華さんが被害者であるその麗華さんの立場はハッキリしています。この絶対的な前提をよく認識して欲しいです。
これは明らかな事実として一連の事件の片棒を担いでその罪を免れた上祐さんと麗華さんが違う事です。
そして麗華さんはこのオウム教団の教祖の麻原さんの娘として生を受けて教団で育ち麻原さんの後継者と目されていました。
今となっては麗華さんはこの類い稀な前代未聞のオウム事件とそのオウム教団そしてその教祖の麻原さんを知り今と未来に語り継ぐ事の出来る当事者の最高の語り部であるのです。
麗華さんの話を聞き、麗華さんを知る事は他の如何なる高尚な宗教家や文化人の話やそれを知る事より遥かに価値があります。
我々はこの価値ある麗家さんを大事にして行かなくてはならないのです。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします( ゚∀゚)ノシ
ずっと気にかけています。
>>本当の強さは、自分を大切にするということかもしれないと最近よく考えています。
↑この言葉に麗華さんの幸せに、前進を感じます。
半年でやっと少し 感じます。
自分を大切にして下さい
大切なのは自分の幸せです。
また。
麗華さんは
もう「麻原彰晃の娘」としてでなく
一個人の松本麗華として歩き出すのですね。
おめでとうございます。
週末のイベントも、その意味で
楽しみにしています。
今年に入り更新がないので心配していましたが、変な輩がいたんですね。
aとしか名乗れない気の小さそうな人間が。
言葉は凶器にもなりますから、コメントを見た時の麗華さんのご心痛が伝わってきます。
はっきり言って脅迫と人権侵害ですから、もしエスカレートするようなら法的な処置を取ることも必要かと思われます。
年が明けていきなり変な輩が現れましたが、徐々に復活することを心より願います。
あかり様
週末のイベントとは何ですか?
今まで出そうで出て来なかった荒らしコメント。やはり出てきましたね。
僕はひかりの輪を監視している地元住民と話した事があるけど、あの人たちも「 何でこんな事をやらないといけないんだ 」と思っているように感じた。おそらく警察からの指示があるのだろう。監視させることでひかりの輪に対する嫌悪感を持たせる狙いはあるんだろうね。
荒らしコメントを書いている人はアレフの信者か?、それとも公安の回し者か?
麗華さんの悪口、書いてんじゃね〜よ!なら、俺様にかかって来いや!なぁ?エルビス飛鳥ブログ!動画!宜しく!byエルビス飛鳥
ひろ様
僕は信者でも本人でもありませんよ。
見えない力というものを信じていますが個人崇拝の宗教はむしろ煙たく見ています。
麗華さんを擁護というのも違いますね。
本人の問題は本人のみ知りうるものの中で解決していくことしかできません。
ただ応援しているというスタンスはあります。
オウムの事件当時は多くの国民が感じたように、オウム真理教は宗教団体ではなく殺人集団だとも思っていました。
その一方的な面でのみとらえていましたが、麗華さんの著書を読み、事件自体ではなくその中にいた幼い少女の生きてきた過程に興味を持ちました。
そこからこの人を応援したいという気持ちが芽生えただけです。
さらにこのブログ等で麗華さんの人となりを知り、微弱ながらに生きていくということに対し応援している立場です。
ですがすべてを応援というわけでもなく、僕個人の中で人なりの洞察力で伺い、物事を咀嚼し理解しコメントを書いています。
過去のことに覆いつくされ、それでも前を見て進んで生きている人をどうして批判できますでしょうか。
それに、aさんのようなコメントは思想も何もない、ただ単に攻撃性だけが含まれているコメントです。
これに対し麗華さんが何らかの反応をすることは意味のないことです。
批判するにももっと内容がなければ。
あれは罵詈雑言を言いたい放題言っているだけの気味の悪いものです。
ただそういう人もいるということを理解していかなければならないのかもしれません。
批判する人も多いですが、応援している人も多いです。
それを取り巻ききめーから、という一言で片づけられる筋合いはありません。
そういう人たちが純粋にいるということをご理解いただければと思います。
ひろさん
わたしは時々、コメント入れていますが
元サマナ(出家修行者)です。
信者ではありません。
オウム事件の実行犯および教祖である麻原さんは、国家の定める刑によって処罰されていいと思っています。
多くの犠牲者・死者を出したのですから、結果として死刑は
仕方のないことです。(死刑反対者という立場でもないのでこのように意見します)
かつてはお世話になった教師であっても、肉親でもなく「あかの他人」だと思っています。
なので、病気なのか詐病なのか?・・も興味ないことですし、
「死刑」を多くの一般人が望んでいるということもわかります。
(同時に元サマナや信者も同様に批判、蔑視にさらされる社会もみてきました。)
しかし、麗華さんはどうでしょうか?
そのことは受け入れられないと思います。
お父さんですから・・
娘が父を守りたいと思うことは「悪」ではないと思います。
松本麗華さんを擁護する?
というより、彼女はなぜ「非難」「批判」されるのかが理解できません。
ぜひ、教えてください。
ひろさんのコメントを何度か読み返して、「あなたの立場」はどこにあるのか?
考えています。
オウム事件に対してでなく、、なぜか麗華さん個人に私怨を持っている印象。
「観念崩壊セミナーという殺人未遂に近い事を起こしただけのことはある。」という言い方。
ひかりの輪の人(元信者で逆恨みを糧に生きている集団)の論調に似ている。
もしかしたら、その筋の人なのでしょうか・・
だとしたら、あなたこそ、ちゃんと自分の生き方を見つめ直して
過去の「恨み・憎しみ」にフォーカスしないで「感謝」を見つめて生きようとしている麗華さんを応援してあげてください。
まーた、おめーに言ったわけじゃねーから!って方々が、なぜかブログ主に代わって返事してきましたね。おめーに言ったわけじゃねーから!
ブログ主以外の人、コメントにコメント返さないで。こざかしい。
要するに、松本麗華さん、私からみると「過去を背負って生きる」などと理由付けをして、負の財産である父親の名前を利用して、本を書き、顔を売り込み、メディアに露出することは、とても卑怯で姑息な生き方だ、と言っているのです。社会から糾弾されるべき姿勢です。ずるをせずに、普通に生きなさい。事件に関して、当時幼かった自分には責任が一切非ないと思うのなら、自分の父親の存在を隠して、なんら後ろめたさを感じる必要はありません。人に言えないような過去や秘密など普通の人もみんな持ってます。それが出来ないというのはただの甘えです。もし事件に関して自分にも責任があると思うのなら、後ろめたさを背負ってひっそりと生きなさい。決して負の財産を糧にしないでください。それだけです。もし自分には事件に対して責任があり、それを真っ向から受け止めたいがゆえに名前を出してメディアに出たいと言うのなら、ひたすら謝罪をして、被害者に精神的、金銭的な報いを行いなさい。菊地さんは無罪だとか、お父さんがどうたらこうたら言っている時点で、そうではないことは明白なのですが。要するにズルい生き方をしているのです。
そっか^^
見ている人にはもう、まるわかりです。
逆に・・ほほえましいですw( *´艸`)
つまり、、
—————-
負の財産である「麻原彰晃」の名前を利用して、本を書き、顔を売り込み、メディアに露出することは、
とても卑怯で姑息な生き方だ、と言っているのです。社会から糾弾されるべき姿勢です。
↓
これって、まさに上祐史浩さんの生き方で
いまだに、社会から糾弾されちゃってるんですねーー。
⇒「ひかりの輪」のみなさん!もう上祐さんから離れましょう。いつまでも糾弾されますよ!
—————-
ずるをせずに、普通に生きなさい。事件に関して、当時、教団幹部のスポークマンとして教団を守るべき立場で
マスコミで世間一般に大嘘かましていた自分には責任が一切非ないと思うのなら、
自分の存在を隠して、なんら後ろめたさを感じる必要はありません。
↓
上祐さん「マイトレーヤ教団」つくってないで、一般人としてひっそりと汗水たらして働いてくださいね!
—————-
それが出来ないというのはただの甘えです。もし事件に関して自分にも責任があると思うのなら、後ろめたさを背負ってひっそりと生きなさい。
↓
上祐さんもひかりの輪のみなさんも「甘え」ですよ!
君たち甘いよ、、甘い。
同じ元サマナとして、恥ずかしい思いでいっぱいです!
もう、やめてください。
世間から見たらね
あなた方こそ、「ズルい生き方」をしているのです。
本当は「ひかりの輪」に対してここまで言うつもりはないけれど、、、
ここで、、麗華さんに攻撃しても解決にならないですよね?
できたらみんなで協力しあう方向にエネルギーを向けませんか?
ビバ!!しょうこー♡(^^)/
PS: わたしのコメントはこれで終わりです(2回目)
思った以上に闇が深いですね。この辺の人々は笑。私のしゃしゃり出る幕ではなかったようです。上祐ふみひろ、か。ひろという名前も誤解の要因でしょうか。上祐さんの名誉のためにも、否定しておきますが、私はオウムとは無縁の一般人で、たまたま事件について調べていてこのブログにたどり着いただけです。ブログを読むと松本麗華さんのズルさや甘えが露呈していたので、「まだ若いのだから、逃げずに、苦しみもがいて本物の価値観をつかんで欲しい」と思い、批判したまでです。けれど、言っても無駄そうですね。
なら警察諸君に言いたい。当然ここくらいは目を通しているだろうから。これだけの人間関係が露わな中で、もし再犯など起こさせようものなら国際社会における日本の恥ですからね。心してください。
ついでに上祐氏についても、私の意見を。彼はもともと社会的弱者なのです。精神世界に逃げるしか生きる術がないのです。それはオウムに入った当時も、そして今も変わりません。弁が立つし、知性もあり、人前でも臆さない様子から、みなさん勘違いしがちですが。なぜ麻原を否定しながら、まだ宗教活動で飯を食べているのか?それは彼にはそれしかできないからです。弱いのです。その範囲で、彼は彼なりに頑張っていると私は思います。罪を認めて、謝罪もし、賠償金も支払っていますし、自分の弱さも自覚していると見受けられます。
それに対して松本麗華さんは、若いこともあり、あまりに浅はかな考えや生き方に逃げているから気になったのです。
いやいや、皆さんの忌憚の無いコメント何よりです。恐らく麗華さんのこのblogの思惑からは外れるかも知れませんが、これでこそこのblogの意義です。
いつもながら既定を超えての私のコメントで逸脱していれば、管理人様どうぞ削除をお願いします。
まあ麗華さんのコメントの数を制限しそのコメントに対する自らの論評はしないなるスタイルだと、ある意味で麗華さんの世論分析や、ひろ様の言われる様なナルチシズムや自己愛性の現れと捉えられても仕方の無い事にも思えます。
上祐さんの話が出ているので、私が上祐さんと麗華さんの麻原さんに対する考えや主張を比べると、確かに麗華さんの話にもなるほどと思える事は多々あるのですが、全体的にその内容からも現状は圧倒的に上祐さんの主張が理にかない麻原さんの核心を突く内容の主張に思えます。
とは言え上祐さんの主張で完全に麻原彰晃が構成するかと言えばそうとも思えない、麗華さんの主張の要素も確かにあると思われます。つまり、それだけ麻原彰晃とは巨大で複雑なんでしょうね、
それに上祐さんと麗華さんとでは年令が20歳以上違いますし、麻原さんに対する上祐さんは教団での主に実務的な接し方だったのに対し麗華さんは父親としての接し方だったでしょうから、麻原さんに対するその見てきた内容も違うと思えます。
上祐さんにしても20年前に教団の広報として主張していた事と現在は全くひっくり返しな内容の主張ですからね、なので、麗華さんにしても今後はその意識なり主張は変わって行く事だと思えます。
そして20年後に麻原彰晃の核心に最も近付くのは、上祐さんでなく麗華さんだと思えます。なので私は未だ若い麗華さんには今後のその成長を期待する訳です。
ひろ様
貴殿の上祐さんに関するコメントで貴殿の背景が気になるのですが、
私は上祐さんとは一面識も無く、光の輪とは何らの関係もありません、
しかしながら過去のオウム教団での上祐さんの広報や現在の光の輪の上祐さんの発言などを考えると私には上祐さんは明らかにそのそもそもの性質として隠れた精神障害の疾患がある、
その隠れた精神障害の疾患が上祐さんのオウムでの一連の行為の元凶でもあらる、
ひろ様、貴殿のコメントにはそれを示唆する内容に思えますな、
貴殿は上祐さんと面識がありその上祐さんの現在の光の輪と何らかの関係があるのではないのでしょうか?出来ればお答え願いたい、
ひか輪の工作員がうるさいですね。
そんなことをやったら、自分たちに返ってきますよ。
仏教を学んでいるなら、因果応報があることくらいは分かりますよね。
もしかして、哲学団体だから、因果応報も関係ないのかな。
いずれにしても、荒らしは迷惑です。自分たちのホームページで言いたいことを言えばいいでしょう。
まるみみ様
この麗華さんのblogのコメントに限り荒らしは迷惑との意見はタブーだと思いますな、
まるみみさんの懸念の反対にまるみみさんの麗華さんの背景も懸念が生まれますな、
このblogのコメントではあくまで例え誹謗中傷、罵詈雑言であれ何であれ取りあえずは受け入れるべきですな、
それがこのblogの意義だと思いますな、
こんばんは。(は or わ ?) かな……???
今日は僕の大好きなある歌の、一詩を麗華さんに届けたいな、と思って投稿しました。
柴咲コウさんの唄う 「大切にするよ」の歌の一詩です。
♪あなたが
生きてるだけで
それだけで
わたしも生きら れる
いつか
わたしも一人で
立てるように
なるから♪
(略)
♪いつかは
あなたも
言葉ではなく
人に愛を伝える
そんなときにも
何処かで
手を合わせて
祈っている♪
長くなってしまいました。スミマセン。
もしよろしかったら、是非、聴いてみて下さい。
*もしかしたら、もう知っているのかも……。
また、お便りします。
宜しくお願いします。