選挙に行こう!(2) 憲法について調べてみた

選挙に行こう!(2) 憲法について調べてみた

 
1.憲法って難しい
 
 7月2日、LOFT9 Shibuyaでの「自由解放特区9(フリーガチトーク9) ニッポンの未来はどうなるよっ!? どうしても伝えておきたい参院選の行方(とあれやこれや!!)」のイベントにお邪魔して、出演者の皆さんのお話を聞きました(前回の記事「選挙に行こう!」はこちら)。
 お話を伺い、憲法改正に対する危機感を持ちました。そこで、まず現行の憲法と自民党の憲法改正案について調べてみました。今まで、当事者意識を持たずに過ごしていたのが、本当に恥ずかしいです。
 
 大学入試の際、社会科は政治経済を選んだので、わたしも日本国憲法の条文を勉強しました。暗記もしました。でも、「そもそも憲法とは何?」「法律と何が違うの?」といった単純な質問にもすぐには答えられない。それほどに、憲法や法律は、どこか自分からは遠くにある、難しいもののような気がしていました。
 
 しかし、今回、意を決して、現行憲法と自民党の憲法改正法案を読み比べてみました。憲法9条については、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」としているのに、現実には自衛隊があるため、確かに違憲状態かもしれません。わたしは、この自衛隊の問題のような、いままで法の「解釈」で済ませてきた点に、憲法改正の議論があるのだと理解していました。だから、自民党は9条を変えるために憲法を改正しようとしているのだと考えていました。しかし、今回、憲法の改正法案を読んで、9条以外の多くの条文を変えようとしていることを初めて知り、愕然としました。
 これから詳しく書きますが、露骨に現在の憲法をなくし、国民を縛るための名前だけの「憲法」を作ろうとしているようです。戦争をスムーズに行えるようにするための端緒が、憲法改正ではないかと強く感じました。
 
 7月10日に、参議院選挙が行われます。もうあと二日しかありません。
 自民党など改憲勢力が3分の2の議席を取れば、憲法「改正」へ向けて怒濤の如く動き出すでしょう。今のところ、自民・公明両与党と、憲法改正に前向きなおおさか維新、日本のこころを大切にする党が手を組めば、3分の2に届く可能性が高いと言われています。この状況では、改正に異議を持つ1人1人の「NO!」が大切です。多くの国民が「NO!」を突きつければ、自民党も今の「改正案」を通すことができなくなるでしょう。
 
 ところで皆さんは、自民党の憲法改正草案はご覧になりましたか?
 https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf
 
 
2.立憲民主主義
 
 日本は、立憲民主主義の国です。
 立憲民主主義における憲法は、何よりもまず、国家権力を制約し、国民の自由や権利を守るための基礎法であるとされています。
 ところが、自民党の憲法改正草案は、現行の日本国憲法に比べ、国家の権力を拡大し、国民の義務を増やす――つまり、自由を制約しようとする内容になっています。自民党は、立憲民主主義を破壊するつもりなのでしょうか?
 
 この点自民党は、日本国憲法改正草案 Q&A 増補版において、立憲主義を否定したものではないと主張しています。
 https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf
 
 でも、これは論理的におかしいです。確かに、立憲主義は、憲法に国民の義務規定を設けることを、完全に否定するものではないでしょう。現行憲法でも「教育を受けさせる義務」「勤労の義務」「納税の義務」が規定されています。でも、現行憲法で規定されている「義務」は、このたった三つ、最低限のものなのです。
 しかもこれら三つの規定は、「義務」とはいわれているけれど、法的強制になじまないことから、倫理的指針、あるいは「法律で義務が課されるかもよ」という予告程度の意味しかないと言われています。
 
 ところが自民党は、「憲法は義務を制定することを許している。だから国民の自由を狭めるための義務を新たに規定していい」と、論理をすり替えているようです。
 
 自民党が新たに創設し、強化した義務は以下です。
 
?まず、憲法の前文をみます。
 現行憲法前文では、
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」
 と、「これは人類普遍の原理である」と国民主権を謳っていますが、これはばっさり削除です。この前文は、憲法の理念を表すものですが、この箇所は、憲法改正権を法的に拘束するものだと解釈されているそうです。それ故に削除するのでしょうか。
  
驚くべきことに、改正案前文は全文書き換えられています。 
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」
 ほとんど雰囲気的な言葉で具体性があまり見えてこないのですが、これを国民が守るべきこと、あるいは義務として書かれています。わたしは思想の押しつけを感じました。少なくとも、国家権力の横暴から個人の権利・自由を守るための、立憲民主主義の憲法に必要な前文ではありません。
 
 
?草案第2条
「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」
 これこそ、思想・良心の自由の侵害です。国旗や国歌が好きな人、尊重したい人は尊重し、嫌な人は、尊重する必要はないはずです。これ、守らなかった人は、この条文に基づいて作られた法律で罰されてしまいます。そうなると、戦前と何が違うのだろうと思ってしまいます。そもそも、国旗や国歌を強要して何の意味があるのでしょうか。本末転倒だと思います。日本って素晴らしいなと、国民が思えるような国作りをすれば、国民の誰しもが自発的に国を愛し、国旗や国歌を尊重したくなるでしょう。
 
?草案第12条 (国民の責務)
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。」
 赤字になっているのが、現行憲法に追加された箇所です。元々現行憲法にも、「公の秩序」という言葉は使われていますが、公益という言葉は使われていませんでした。わたしには、この「公益」という言葉が危険に思えます。「公益」の範囲にはどこまで含まれるのか。権力が「公益」と主張したら、それがそのまま「公益」にされてしまうのではないか。曖昧な言葉は本当に怖いです。
 この「公益」という言葉は、草案13条(個人の尊重等)でも、草案第29条(財産権)でも使われています。
 
 「公益」という言葉の危険性については、いくつか記事があるようです。わかりやすいと思ったページをひとつ挙げておきます。
 『新佃島・映画ジャーナル』https://goo.gl/Lc3TtR
 
?草案第24条
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わねばならない」
 これは余計なお世話と思いませんか。なぜ、家族のことについてまで憲法で触れる必要があるのか理解できません。家族間で互いに助け合う意思があればそうすればいいし、それが無理なら仕方ありません。助け合えない家族は家族として認めないのか? 1人でもはみ出したら、それは家族として尊重されないのか? いろいろと疑問がわいてきます。
 
?第92条2項でも、
「住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う」
 またしても義務です。現行憲法にもすでに納税の義務があるので、追加で義務規定を増やす必要はないのではないでしょうか。
 
?第99条3項
「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他の機関の指示に従わなければならない」
 これも義務ですね。この緊急事態の宣言について、自民党は「戒厳令ではない」と否定しているようです。
 しかし、この憲法を元に「有事」の際に国民の権利を保障した憲法・法律の一部の効力を停止する法律をつくり、実行するためのものなので、戒厳令のことだと思います。この条文を作って、国民に何をさせるつもりなんでしょうか。
 
?極めつけは、現行憲法99条と、それに対する草案です。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(現行憲法99条)
 権力の横暴を許しませんよ、憲法は権力を縛るものですよ、というのが立憲民主主義における憲法です。憲法を守らなければいけないのは、国であり、内閣であり、公務員であるのは当然です。
 ところが、自民党草案第102条は、
「1,全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2.国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」
 と書き換えようとしているのです。憲法を守るべき者の立場が、完全にすり替わっています。立憲主義を損なうものではないと主張しながら、なぜ自民党は、国民に憲法尊重義務を課し、国家権力側は「尊重し擁護する義務」から「尊重」を取っ払い、「擁護」するだけでよいことにしたのでしょうか? これって、国側と国民で現在の憲法とまったく逆の力関係になるということですよね。
 
 この憲法が通れば、立憲民主主義を壊すことになってしまいます。
 
 
 記事は、選挙に行こう!(3) に続きます。
 
 
 

選挙に行こう!(2) 憲法について調べてみた」への8件のフィードバック

  1. すばらしい!!

    (上から目線みたいに感じたら許して。上だもん。無駄にバカな過ごした時間の長さでは。)

    次を見てどう思う?
    権利は捨てても 義務は捨てるな

    あの品 この品 みな国の品

    進め日の丸 つづけ国民

    無職はお国の寄生虫

    一億 一列 一歩調

    勇んで出征 進んで納税

    決戦だ しかと見直せ 衣食住

    胸に愛国 手にハンマー

    鍛えて待たう お召の日

    一億が 感謝を胸に 国を背に

    無職はお国の寄生虫

    無職はお国の寄生虫

    無職はお国の寄生虫

    無職はお国の寄生虫

    無職はお国の寄生虫

    (悪かったな!!!!)

    こんな風に、国が国民のためにあるのではなく、
    国民が国のためにあった時代が「美しい国・日本」なんですよ。

    「日本を取り戻す」んですって。
    別に取り戻さなくても日本は日本でしょ、アホか、と思いますが。

    家族は大切だねぇ。

    しかし私はあと30年もしないうちに家族バラバラどころか
    残念なことに家族はこの世にいなくなります。存在しなくなります。
    いやいや「世界は一家、人類は兄弟」とも言ったな。

  2. 阿倍内閣が推し進める憲法改正案であれば中身を精査せずして危険である事は分かりますよ、

    世間では戦争法などと言われますが、それは少し違い、思うにむしろ戦前の治安維持法に近い、

    世間では将来の核武装や徴兵制を危惧する声もあるが、それも無い様に思える、何故なら現代において国防を核兵器や徴兵制に頼るのは北朝鮮の様な最貧国であり、半世紀以上も前に開発された核兵器が未だに最強兵器な訳もないし近代戦争において兵力が主流になる訳もない、

    あくまで国内の統制の治安維持の言論思想統制を目的にしていると思われる、具体的には千代田区一丁目一番地に対する批判の統制と厳罰化、教育機関などでの国旗掲揚と国歌斉唱の強制化、隣組などの自治会組織への強制加入化、その上での自衛隊の海外戦争派兵などである、

    恐らくこの背景には急激な人口減少と高齢化により、近い将来に大幅な移民を受け入れざる得ない事で現状の民主的な建前ではその国体を維持出来ないでいる事にある様に思われる、

    しかしこれだけ危険な内容である以上は将来の内乱の火種になりかねない、

    それはそれで良いとも思われる、今までの様に真綿で回りくどく国体を押し付けられるより、過激なやり方で無理が生じて内乱になりその事で忌まわしい日本の国体と決別が付く事もある、

    何はともあれ、阿倍さんが推し進める憲法改正である以上は危険な事は間違いない、それは阿倍さんの祖父から受け継ぐ事であり、

    その阿倍さんの祖父のジイサンはその昔に半島や大陸で日本至上主義を前提にした既得権益を確立しようとしたその大本営から派遣された現地での総責任者であり日本のアメリカとの無理な戦で勝ち目が無いと悟といち早くアメリカと内通して戦後はA級戦犯でありながら死罪を免れ逆にアメリカと結託し総理大臣になった人物であり何かオウムの上祐さんの親玉みたいな人であった。

    阿倍さんはこのジイサンからかなりの影響を受けそのジイサンの思い描きかつて半島や大陸で挫折破綻した思想を改めてこの日本で実現しようとしているのでしょうな、

    全く恐ろしい事ですが、成り行きに任せるしかありませんな、

  3. この話はいろいろ難しいものがりますね。私は、自民党案には、良いものもあるし、今一というものはあるという感触です。例えば
    >自民党草案第102条は、
    >「1,全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
    >2.国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」

    という部分は、「全て国民」には、政府関係者も含まれます。従って、尊重義務があり、その上に擁護義務があると理解すべきです。(法律は、前項が前提です)

    個人的に言えば、一部のマスメディアなどの「無責任な権力」に対して、「全ての国民」の範疇で少し歯止めをかけてほしいですね。

    前文はもう少し論理性が欲しいですね。

    一つクイズですが、「オウム新法」や「暴対法」を憲法違反にするには、どちらの方がやりやすいでしょう。もっと言えばそのような憲法は?
    ヒント:事後立法などで、国民の「一部」を罠にかけることの禁止をどう見出だすか?

  4. 『私観』

     安倍総理は、最初純粋な右翼で、日本の独立を真に考えていたと思う。
     だけど、それをやり過ぎて米議会に呼ばれ「敵か味方か」の選択を迫られ、「米の傘下に入らなければ政権の延命はあり得ない」ことを悟った。
     それで「協力していきましょう」と米議会で約束した通り、日本人を無視してでも憲法違反の法案を無理矢理通したと。

     日本のことを純粋に考えていた始めと自身の権力を維持することに切り換えた今は違うんですね。

     自身の権力を維持する為に国家とつながり法を滅茶苦茶にする。要は安倍さんは上祐さんなんですよ(笑)。

  5. 憲法改正されても思想を作られても、勝手にやっててぇ〜
    俺、し〜らない。

  6. もう少し、考えてみました。
    まず、前文の重要性を考える必要があります。本来、法律は階層構造になっていて、憲法前文がまず主要精神を決めます。そして、憲法の個別の条文がその具体化です。なお、憲法の条文の中でも、前に書いた方が後ろに書いたものに、影響を与えます。
    従って、「すべて国民はXX」、と前に書いていて、次に「国家公務員はYY」となれば、国家公務員はXXは当然で、その上でYYということです。
    このような論理構造について、本来は大学の初年級ではきちんと教えていないといけないのですが、どうもあいまいになっています。
    このような知識をきちんと持っているのが、東大法学部卒の官僚群です。彼らが法律の作り方を独占しているのが、現在日本の実態です。
    この法律作成過程を公開する。このためにも憲法論議は重要です。
    さて、前文の案を見たとき、実際の法律に展開するには、論理性が弱いなと思います。ただし、一つ良いことは、現在の憲法前文にある、「他の国への正義の押し付け」が無くなっていることです。
    このような部分も考えるべきですね。
    なお、憲法改正については、私の意見は、
     前文の改定は現状通りの厳しさ
     前文の趣旨に合う個別条文の改定は緩める
    という形です。
    最後に、前文の写真を載せたこのブログは、麗華さんの直感的な鋭さを示していますね。前文の重要性を感じたのでしょう。
     

  7. 勉強不足のわたしにも、わかりやすい内容でした。

    この記事をきっかけに、ホンの少しだけ立憲主義、自由主義、民主主義について調べてみて、麗華さんが言われていることを、自分の中でも実感しました。

  8. まあ、麗華さんの境遇や過去がどうであれ麗華さんが将来に政治を志す事に何らの欠格や臆する事となる事はありません、

    むしろ単なる政治家の誰かの息子や誰かの孫や元官僚や何処かの御曹子のみか政治家になるのであれば、それは民主主義ではありませんね、社会の末端で暮らす私の様な人間にとり危険な事です。

    私でさえ政治を志す権利はあるのです。とは言え私は到底そんな気にはなれませんが、

    しかし政治とはいつの時代にもどの政治も常に醜悪でありその本質は醜いものです。

    TV中継されている国会や討論番組など本当の政治な訳ではありません、

    麗華さんの憲法論議などからすればそれは国政レベルの政治になります。

    その国政を預かる国会議員は私の住む東海地方の過疎の地方でも当選するには最低10万票の票を集めなくてはなりません、選挙の投票日に最低10万人各々が投票所に足を運び候補者の自分の名前を書いて投票して初めて当選する、
    この現実を考えるといかに組織票や知名度が無くては難しいか分かります。国会議員は正論さえ主張すれば成れる訳ではない、

    誰にでも良い顔をして平気で嘘をつき平気で心にも無い事を口にして、常にパフォーマンスに長けて常に誰かに取り入り、平気で裏切る、それが政治家の資質の条件、

    ある意味でヤクザや宗教の世界と同じですが、オウムの中で育ちそれを見て来た麗華さんでさえ実際の政治の世界は一筋縄では行きませんよ、どんな落とし穴か待っているか嵌められるか分からない、

    逆に阿部さんの様に大した力量は無くてもそのジイサンから受け継ぐ永田町や霞ヶ関の既得権益の基盤があれば、大総理の政治家でいられる訳です。

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