過剰な向精神薬の投与が招いた結果

過剰な向精神薬の投与が招いた結果

そんな父の状態が、週刊誌に載ることがあります。
それを読むと、わたしは父の介護をしに行きたくなります。
視力がない父から歩くことを奪い、森達也さんの「A3」(集英社インターナショナル)によれば過剰な向精神薬を投与し、父を壊したという東京拘置所(63〜64ページ)。
実はわたしも森さんが聞いたとする取材元から直接、父が向精神薬の影響から逃れるため、飲尿療法をしていたという話を聞いています。
「しかし、抵抗しきれなかったみたいだ」
と、その方は仰っていました。
 

過剰な向精神薬の投与が招いた結果」への3件のフィードバック

  1. 上祐さんとその光の輪を考える5

    上祐さんは実質、独自の宗教団体の光の輪を主宰してその目的の一つにアレフに対するその信徒の脱会へのカウセリングやその脱会への支援をあげている、

    この上祐さんの行動とその主張に関して一部の専門家などから批判がある様である、

    この一部の専門家の批判は元オウムの幹部であった上祐さんが、名目を変えて別の宗教団体を主宰するとは何事か!との感情的な事とは別に

    本来、アレフの様なカルトに嵌まる信徒などは、そのカルトに依存せずに自立をさせる事が大事でありアレフから他の宗教にその依存の矛先を替える事は問題の解決には本質的に繋がらないなる理由の批判に思える、

    しかしこの理由の批判を私が考えるに余りに現実離れしたいかにも学者の机上の空論に過ぎないと思われる、

    この理屈だと人間は誰しも自立が出来て宗教そのものが全て悪であるとの結論になる、

    これは明らかに現実離れした机上の考え方である、人間はとかく他者の理性に与る事は出来ても自己の理性が働かない者が多いこれが大半である、自立の元で自己の理性や思考で生きる事で破滅する者も多い、

    他者に繋がり有効なお寺や教会などに繋がり依存する事で生かされ犯罪者や薬物依存から抜け出す例も少なくない、これはその繋がりや依存するその宗教がその人間の中で有効に働いている事である、

    人間は先天的に思考が働かないなどの自立して生きる事が出来ない者が現実に多くそれを無理に自立させればかえって悲劇を生む、世間一般の成人に達している年齢などで区切る事は全く現実的ではない、

    問題はその繋がり依存する先がオウムやアレフの様なカルトである事の悲劇である、

    その点で上祐さんの光の輪は私が思うに過去のオウムや今のアレフや他の教団の様なカルトの内容ではない様に思える、少なくとも上祐さんのその一般向けの法話を聞く限りかなり有意義で有効である、

    少なくとも福祉行政の役人の話や全く形骸化したお寺の僧侶や教会の神父や牧師の話より上祐さんの話は遥かに内容があり有効性がある、

    しかしながら現状、上祐さんやその光の輪ではその繋がり依存先として依存者との生命体としてのその依存者を守り育て導く生命関係か生まれない、

    内容があり有効であっても単なる講義やゼミの粋を出ない、これだと単にその理屈を提供するのみで強く生きる生かされる原動は生まれないのである、

    麗華さんにはその上祐さんには無い生命体を産み出す資質があり、麗華さんは今は自身のそれに立場上での蓋をしてしまっている、

    逆に上祐さんはその才が無い事で今の活動が許されているとも言える、お上からすれば、所詮は上祐ではやる事はたがが知れていて何らの脅威にはならないとの考え、

    麗華さんは例えこの上祐さんがサイコパスであろうともこの上祐さんから学ぶ事は多くあり、

    過去の確執から上祐さんには全く共感出来ないとこれを安易に切り捨てるべきではない、

  2. 上祐さんとその光の輪を考える6

    上祐さんのその爪の垢を最も呑むべきだったのが、麻原彰晃を担った松本智津夫である、

    麻原が上祐さんの話にもっと耳を傾けそれに従っていればあそこまでの悲劇は無かったと思われる、

    それだけ上祐さんはオウムでの実権が無かった。

    上祐さんがあれたけ論理的に考え知性が高く弁も立つのにそのカリスマ性に欠けるのは、

    高学歴の優等生エリートな事が逆に影響していると思える、

    上祐さんの思考やその話は高学歴の優等生エリート特有のスタイルと内容でありそのスキームがかかり可能性が拡がらない限定的である、

    明らかに理系の仮説の為の理屈の積み重ねで、とかく他にも高学歴の優等生エリートの多かったオウムにおいては見透かされ指示が拡がらなかったと思われる、

    上祐さんはその後のアレフや今の光の輪においてもその感は拭えない、所詮は何か優秀な人で頭の良い人、鼻につく感じ、挫折を知らない人、本質的に親近感の持てない人、後々は敵になる人、

    上祐さんの主宰する光の輪はその少なくとも無料動画配信している一般向けの上祐さんの法話を聞く限り、私には過去のオウムの様な危険性は感じない、内容的に有意義で有効な話に思われる、

    しかしそこを入口にして会員を募り会員向けはその法話の配信は有料として一般には公開せずにいる事から明らかにカルトのパターンがある、しかし上祐さんには麻原の様なカルト教祖になりきるその器も技量も無い様
    に思われ例えカルトだとしても上祐さんではたがが知れている、

    仮にこの上祐さんの法話やその光の輪に危険性が無く有意義で有効な内容であれ、

    一般の者がこの上祐やその光の輪に近づき関わる事は社会的な多少なりともリスクがある、

    これは麗華さんに関わる事も同じリスクがある、

    とかく世間では過去に上祐さんがオウムの広報として連日にマスコミに出演しその見事な弁明から当時は上祐さんは一種の芸能人扱いの風潮があり、今でも上祐さんに対しサインを求めたり一緒に写真を撮りたがる人も少なくない、

    しかしこれは軽率な薄ぺらい世間の風潮に過ぎない、

    上祐さんが過去のオウムを否定しその麻原を否定し批判しようとも上祐さんの過去の事実やその道義的責任は消えない、

    なのでこの上祐さんに関わりその光の輪に参加する事は世間には一義的にはオウムや今のアレフに関わり参加する事と同列に捉えられる傾向はある、

    これは麗華さんに近づき関わる事も同じであり

    麗華さんは上祐さんの様な過去のその道義的な責任は無くもその父親の麻原を擁護するその主張を世間に対し続ける以上はオウムと連動する捉えられ方になるその同じく傾向はある、

    内容はどうであれそれが世間の現実である、

    私の様な世間において全く価値の無い末端の存在や、逆に社会から排除される暴力団や元暴力団員などなら今さら上祐さんや麗華さんに関わろが、光の輪やアレフに関わりこれに参加しようが今さらどうでも良い事、

    しかしとかくその体裁を気にする公務員や上場企業の社員は道義的には何らの疚しい事が無く法的にも何らの罪に問われなくも何か妙な噂に繋がりかねない、

    しかしその傾向なりリスクが多少なりともあれあえて、その上祐さんや麗華さんの話を聞こう、その上で上祐さんや麗華さんに繋がろうとする者もあり

    その人間関係は逆に世間の軽薄な人間関係より価値がある、

    世間の砂上の楼閣を築いてはならない、お父さんは愚かであったが、世間に迎合したり媚びる事は決してしなかった。

    なので麗華さんは世間に迎合や媚びるのでなく、上祐さんの様な麗華さんの独自の世界を求めるべきなのである、

  3. レナード ニモイ

    脚本 レナード ニモイ

    主演 レナード ニモイ

    演出 レナード ニモイ

    バルカン星人 レナード ニモイ

ゴラス へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です