今までの経緯   |   父が全盲であることについて   |   わたしの願い   |  RSS | ATOM | 検索

指摘されない矛盾

わたしはかねてから、不思議に思っていることがあります。

裁判所も拘置所もマスコミも、父を詐病と扱ってきました。

父は命が惜しくて、死刑を回避するために詐病を装っているのだ――と。

しかし、死刑を回避したいのなら、裁判所に対してはもっとも病気を装うのではないでしょうか。

「鑑定人」を名乗った、西山氏に対してもそうです。

「鑑定人」に心神喪失と認めてもらわずして、「詐病」を装う利益が一体どこにあるのか。

弁護人に対する拒否感があるため、弁護人と「だけ」意思疎通を「しない」のだという強弁もあるかもしれません。

しかしながら、父と意思疎通が一切できないのは、わたしたち家族も同様です。

それに対しては、父が家族も弁護人の手先だと思っており、よって家族とも意思疎通をはからないのだ、という主張も生じるかもしれません。

しかし、もし弁護人に「だけ」拒否感があるのであれば、わたしたち家族に、「弁護人を解任しろ」「つきあうな」「弁護士を信用するな」と言えばすむ話です。

それだけでなく、弁護人は控訴審を請け負っていたときはすくなくとも、立会人のない接見交通が認められていました。

父は、
「弁護士は信じられない。解任したい。もう放っておいてくれ」
と弁護人に伝えることも可能でした。

よって、上記の主張は、理屈が通らない主張と言わざるを得ません。

また、弁護人に対する不信感を強調し、「弁護人以外とは意思疎通が成り立ち正常である」と主張するのであれば、死刑を恐れて詐病を装っているという主張は成り立たなくなります。

なぜこのような矛盾する主張が、平然と通ってしまうのか、わたしには理解ができません。「麻原」が相手であれば、何でもありということなのでしょうか。


 
投稿者:松本麗華, カテゴリ:今までの経緯, 14:07
comments(0), -, -
コメント