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階段から転落も――

父は今でも、弱視ではあるがわずかな視力があると、一般に報道されています。

しかし父は生まれたときから片眼の視力がなく、もう片目も1989年の秋頃にすべての視力を失っています。

裁判所側の鑑定人の西山医師でさえ、眼球結膜が綿のように白濁していると言っており、盲目であることは疑いありません。

全盲になったあとは、主にわたしたち娘が介助し、歩く際は杖代わりをつとめました。

杖代わりをつとめるときは、「あと5歩で階段です。3,2,1、階段に入ります。階段はあと6段です。3,2,1、階段終わります」というように、常に進路をアナウンスし続ける必要がありました。

例えば歩数を間違えてしまったり、ちょっとした出っ張りのアナウンスをし忘れてしまったりすることがあると、階段を転げ落ちるなどの事故を引き起こしました。

歩くときだけでなく、シャワーや着替え、食事の際にも介助は必要でした。

これらは当然父が逮捕される前のできごとであり、全盲を装う利益など、どこにもありませんでした。


 
投稿者:松本麗華, カテゴリ:今までの経緯, 10:17
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両目をつぶったまま水道から水をくんでトイレに流せますか

東京拘置所は、適切に父の身上監護をしているといいます。

しかしながら、わたしはそれを信じることができません。

父が病気でないとあくまで主張し治療を施さず、あのような状態になるまで放置したばかりか、全盲である父が健常者と同じことができないという理由で懲罰を与えることもありました。

例えば、1996年の夏、まだ父が弁護人と会話ができていたころのことです。

拘置所では夜間のトイレ使用時、水道から水をくんで流す決まりがありました。

大きな音を立てないようにするためだと思います。

しかし、目が見えない父はトイレの排水装置を利用してしまいました。

そのため、軽屏禁という懲罰(受罰者を罰室内に昼夜こもらせる処分)を受けました。

これを障害者に対する正当な扱いといえるでしょうか。

父が廃人になっていく過程に、拘置所のこのような扱いが関係していた可能性を、わたしは否定できません。


 
投稿者:松本麗華, カテゴリ:今までの経緯, 09:58
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服は糞尿で汚れているので、宅下げできません

東京拘置所は面会拒否の理由を、最初から現在に至るまで、本人が自分の意思で部屋を出ようとしないからであると、父にすべての責任を負わすような言い方をしています。

しかし、わたしたちは数十回面会を重ねてきましたが、一度として意思疎通が図れたことはありません。

いえ、そもそも父は意味ある言葉を発したことも、わたしたちの言葉に反応したこともありませんでした。

そのような廃人である父が、自らの意思で面会拒否をするなど、あり得ないことです。

父は前述の通り、排泄のコントロールすらできない状態です。

面会となると、汚物にまみれた父を洗い、髭や髪を整え、服を着せ替えて面会室へ連れてこざるを得ません。

拘置所はそれもいやなのかもしれません。

実際、面会時父は清潔にされていましたが、父の服を洗濯したいから宅下げしてほしいとお願いしたときは、糞尿で汚れていて、窓口まで持って来られないと拒否されました。


 
投稿者:松本麗華, カテゴリ:今までの経緯, 11:40
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家庭裁判所の調査官や鑑定人ですらも――

家族に対する面会拒否が始まったのは、8月中旬からのことでした。

拘置所は家族に対しても面会拒否・許可を繰り返し、わたしが知る限り、弁護士は2008年4月30日ころを最後に、家族も6月10日を最後に、一切面会ができなくなりました。

家族で最後に父と会えたのは、姉と弟の二人でした。

このとき父の顔は皮膚がむけて赤く腫れ、精神面のみならず肉体もひどい状態だったそうです。

久しぶりに父と会った弟は、父の状態に衝撃を受け、
「あちこち赤いですが、何かかぶれでもしたのですか。それとも、何かに刺されましたか」
などと心配して声をかけましたが、もちろん返事はありませんでした。

あるいは、と思います。

まだ少年である弟までも、精神面はいうまでもなく、肉体の状態まで心配してしまったからこそ、拘置所は父を誰とも会わせてはならないと、結論したのではないか――と。

後年、父を被後見人とする成年後見を申し立てましたが、家庭裁判所の調査官や鑑定人は父への面会を拒否されました。

わたしが知る限り、08年6月10日以降、父は外部の人の目に触れておりません。

父は姉と弟が最後に見た、肉体的にもぼろぼろの状態のまま、東京拘置所によって隠蔽されたのです。


 
投稿者:松本麗華, カテゴリ:今までの経緯, 12:06
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日弁連の勧告−精神治療を実施せよ

2006年3月の終わりに控訴が棄却され、弁護人は即時抗告、特別抗告を行いました。

この間、7人目の精神科医が、またもや意見書を出してくださっています。

しかし、即時抗告、特別抗告も棄却され、同年9月15日に判決が確定しました。

2007年4月になると、東京拘置所による弁護人に対する面会拒否が始まりました。

東京高等裁判所と父との関係が切れて7ヶ月弱、ほとぼりがさめたころに拘置所が面会拒否を始めたことから、この面会拒否が東京拘置所主導によるものであることは、明白だと言えます。

しかしそれでも東京拘置所は、弁護人に対し、父の都合で自然に接見できなくなっていったという体裁をとりつくろおうとしました。

「×○○○○○○○×××××○○×××○○××○○××○×××××
○○○×××××××○(接見できたときが○ 拒否が×)」

という具合に、すぐさま完全に拒否するのではなく、自然に面会ができないという流れに持っていこうとしたのです。

面会拒否をする際には、「声をかけたけど動こうとしなくて」等、父の具合、父の問題だと主張しました。

同年11月6日、日本弁護士連合会(以下日弁連と略します)は「人権救済の申立」に基づき、父を在監中の東京拘置所に対し、適切な精神医療を受けさせるよう勧告しました。

日弁連人権擁護委員会の調査報告書は、東京拘置所にも常勤の精神科医がいるが「必要最小限の精神医療を実施していない」と指摘し、外部の精神科医による診察を受けさせ、薬物療法や医療刑務所での治療などを速やかに実施するよう求めましたが、「病気であってはならない」あるいは、「病気を治してはならない」父に治療が施されることはありませんでした。


 
投稿者:松本麗華, カテゴリ:今までの経緯, 10:50
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