このブログの目的1

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3、このブログでは、わたしたち家族が父との接見に到るまでの経緯や接見時の様子、その後の東京拘置所による面会妨害の状況等について書いていきたいと思います。
もしかしたら、これまで隠されてきた真実を詳しく書いて公表することによって、わたしは、以前にも増して嘘の報道で人格的におとしめられたり、あるいは、ありもしない罪を作られて逮捕されたりしてしまうかもしれません。
被害妄想と笑わないでください。
それは真実、わたしが生きてきた世界そのものです。
 

このブログの目的1」への2件のフィードバック

  1. 私は刑事裁判手続きはよく分かりませんが、拘留中の麻原さんに当初その家族でさえ面会を公安当局が認めなかった理由には、やはり公安当局には麻原さんがその家族に何か伝えられては都合が悪い事があった可能性があると思います。

    オウムに限らず、カルト宗教団体や暴力団など、社会に多大な被害を出しながら拡張する過程には必ずこれを黙認する政治家なり警察との癒着関係があり、

    韓国の先の多くの高校生の死者を出した客船沈没事故での客船の船会社の事件後に行方不明になった。韓国の政界や警察に深い繋がりと影響力のあったオーナーの韓国のカルト宗教教祖の代表者はその後に変死体で発見されています。

    麻原さんもその様な政治家なり警察との関係があったと思われ、関係のあった政治家なり公安当局は当然に世間に露見されては不味い事で、

    麻原さんを意図的に廃人にしてその口を塞いだ可能性は拭えません、日本でも暴力団員など拘留中の不審死などよくあると聞きます。

    仮にそうなら麻原さんに未だ通常の意識のあった時に家族の麗華さんなりが面会し麗華さんが麻原さんのその様な政治関係を聞いたならは、

    麗華さんもかなり危ない事に陥ったのではないでしょうか?結果的には麗華さんは麻原さんからオウムや事件の真相を聞けなくて正解であったと思います。

    麻原さんが、もはや廃人になっている現在、オウムが何故にあそこまで多くの被害者を出し近隣住民などとトラブルになりながら社会で組織拡張出来たのか? 一連のオウム事件の真相など全て今となっては闇でしかありません、

    見猿、言わ猿、聞か猿、

  2. 麻原彰晃との対話2

    松本智津夫を使い具現化された想念の産物である麻原彰晃は誰もがその想念の世界で対話が出来る、

    麻原彰晃に問いかければその答えはあるはずである、

    そして麻原彰晃は私に答える、

    松本智津夫は麻原彰晃の役目を担いきれなかった。自身の

    生身の人間が今の末路にさせた。今の松本智津夫はもはや決して麻原彰晃ではない、生身の人間の末路である、

    人間の世間や社会やその政治に呑み込まれた哀れな人間に過ぎない、悪魔を産み出すのは人間でありその人間の世間であり社会であり政治である、

    麻原彰晃はこう私に啓示する、

    どんな天国であれ要するに素晴らしい奴隷の境涯を求めてはならない、

    そうでなく自分の中から善きものを探し求めて、

    たとえこの広漠なる荒野においても自由に誰にも責任を負う事なく自らの善きもののによってのみ自主独立の生活を求めて

    華麗なる奴隷生活の平穏無事な軛よりも苦難に満ちた自由こそを選ぼうではないか、

    我々には、小さいものから大きなものを、有害なものから有益なものを、逆境から繁栄を、造りだす出す力がある、
    いかなる場所においても、禍の下においても栄え、

    労働と忍耐とによって苦痛から安楽を導き出す事が出来る、まさにそうした時こそ我々の存在の意義が輝くのである、

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