わたしの報道について3
――そう知っていたはずでした。
しかしそれでも、人は情報に踊らされる。
わたしは大きな間違いを犯しました。
父が逮捕されたとき、わたしはまだ小学生の年齢でした。
その後、わたしたち家族は9年間にわたって、父と一度も接見(面会)することができませんでした。
その間に、わたしは、マスコミや裁判所、拘置所が「詐病」と扱う父を、本当に「詐病」であると信じ込んでしまったのです。
父が詐病ではなく、本当に病気だと知ったとき、父はすでに手遅れなほどに壊れきっていました。
――そう知っていたはずでした。
しかしそれでも、人は情報に踊らされる。
わたしは大きな間違いを犯しました。
父が逮捕されたとき、わたしはまだ小学生の年齢でした。
その後、わたしたち家族は9年間にわたって、父と一度も接見(面会)することができませんでした。
その間に、わたしは、マスコミや裁判所、拘置所が「詐病」と扱う父を、本当に「詐病」であると信じ込んでしまったのです。
父が詐病ではなく、本当に病気だと知ったとき、父はすでに手遅れなほどに壊れきっていました。
「わたしの報道について3」への3件のフィードバック
麻原彰晃との対話4
何故か最近はblogの更新が無い為か皆さんのコメントが少ない様で私のみがずらずらと長いコメントで肩身が狭い、
麗華さんには気に障る様ならどうぞ遠慮なく私のコメントを削除して下さい、
麻原彰晃こと松本智津夫と結末はほぼ最悪である、もはや人の体をなしていない、灰人を通り越して単なる動物である、
しかし故にこの松本智津夫の現在を通じて麻原彰晃を知りその想念の麻原彰晃と対話に深い意味がある、
松本智津夫が上祐さんや岸の様にズル賢く計算高く立ち回りが上手く、政治のプロで今でもその教祖として君臨し教団を束ね優雅な生活をしていれば、
私にはその麻原彰晃には価値が無い、その想念の対話め出来ない、単なる世俗の山師か異常者に過ぎない、
今の松本智津夫だからこそ、その麻原彰晃を学びその想念の麻原彰晃と対話する意味がある、
その想念の麻原彰晃は私にこう啓示する、
麻原彰晃を担ったのはその生みの親である松本智津夫であり、その松本智津夫以外にその器の者はいなかった。
しかしその松本智津夫は麻原彰晃を担いながら人間である事の様々な問題があった。
その麻原彰晃の担いての松本智津夫が人間である事での悲惨な末路である、
とかく世間はこの麻原彰晃こと松本智津夫を単なる詐欺師やサイコパスや異常者で片付けてしまう、しかしそれは間違いであり実際にはその様な単純で短絡的に結論を出すべきでは決してない、
方やその松本智津夫の娘の麗華さんはひたすらその父の麻原彰晃こと松本智津夫は他から操られていた。何も知らなかった。何の実権も無かった。何も言えなかった。などと主張するが、これも事実に反する、
我々はこの麻原彰晃を担った人間、松本智津夫の多くの間違いとその末路から多くの事を学び、本来の麻原彰晃のあるべき姿を模索する事が出来る、
いや、それをしなくてはならない、
麻原彰晃は終わっては決していない、これからである、
麻原彰晃は自然からの使者であり犯罪者などでは決してない、
上祐はさんとその光の輪を考える、
以前より上祐さんが現在主宰する光の輪が一般向けの主にその上祐さんの法話の動画を光の輪かその会員か第三者による投稿か分からないが、よく見掛ける、
殆ど一般向けの動画配信や投稿などしていないと思われるアレフに比べ積極的に一般向けの動画配信なり投稿をしている光の輪はアレフに比べ何故か余りその会員が増えてはいない様である、
上祐さんの一般向けの法話を聴くと中々為になる話や関心する内容も多い、さすがは上祐さんとも思える、
まあ上祐さんの話はいつも自身の事は棚に上げている感はあるし内容は明らかに宗教であるに光の輪は宗教でなく思想哲学だとか哲学と宗教の狭間とか全くの詭弁に過ぎない、しかし麻原彰晃に関する上祐さんの考え方は大方的を得てる様に私には思われる、
しかしながらその上祐さんは日頃から全国の支部を回りその法話を行っているので、その会場に行けば上祐さんの話を実際に聴け上祐さんと立ち話程度の会話は可能とも思われるし、光の輪で行っている聖地巡礼などに参加すれば上祐さんとある程度の会話も可能だと思われる、
しかし、私はどうも上祐さんに会えて多少なりとも会話が出来たとしてもわざわざ遠方まで遠方まで足を運び更には幾らか払い聖地巡礼に参加する気にはイマイチなれない、
何故であろうか?考えるに一つは上祐さんは一般的に優等生のエリートであるに対して私は上祐さんと同じ世代でも真逆な人間である事、
それに上祐さんの話は内容は良くも悪くも独自性に欠けて何かの勉強会の講義に過ぎない感が否めない、
これは独自の有機質な生命の有無のその生命が上祐さんには欠けている様に思われる、過去のオウムや今のアレフに比べ光の輪は生命体として成立しない様に私には思われる、
もし過去のオウムや今のアレフの様に団体が生命体として成立すれば、その主宰者の有無に関わらず、その主宰者の意思に関係なくその団体が一つの生命体としてその意思を持ちその生命活動をするはずである、
上祐さんはそもそも理系の人間であり宗教家の才能は無い、
私には上祐さんの今の活動は本来なら上祐さんでなく麗華さんが行うべき事と思われる、上祐さんでは生命体として成立しない、
しかしこれはあくまで私の今の勝手な考え方であり同じく私のXの理論からすれば、実際の事は分からない、
上祐さんも麻原彰晃の細胞である事には変わらないのである、
一見は無機質に思えても細胞である限りその生命は宿っているのである、
上祐さんとその光の輪を考える2
まあ麗華さんに限らず麗華さんの様な立場でそのこう言った活動やこうしたblogなどをしていると、
多かれ少なかれ私の様な変な人やおかしな人にぶち当たるもんです。これはその活動やblogでの仕方のない事、
まあそれも単に気に障り迷惑と考えるかそれに意味を見出だすか次第と思うのですが、
麗華さんのお父さんの智津夫さんは過去の経歴やその教祖の麻原彰晃として率いるオウム教団の活動からして宗教者として以上にその社会的な上昇思考が強かったと私には思われますな、
単に宗教者として留まらず、社会に影響を与えその社会を支配する事を願望としていた。他の幾つかの宗教団体にも見られます事です。
松本智津夫は若き頃に上京した際には日本の内閣総理大臣になる事をその目標にしてその立ち上げて成長したオウム教団は無謀にもいきなり国政選挙に打ってでた。
いずれも社会において到底受け入れられる事でなくいずれも挫折、
オウム教団が過去に国政選挙に打ってでた際はその教団幹部であった上祐さんはそれに反対していました。
これは教団が選挙に出る際にのこれを話合う様な教団の集まりで幹部であった上祐さんは教団が国政選挙に打って出る事を反対の意思とその理由も述べている映像も残されている、
他の主だった幹部の何人かも反対の意向であったが絶対者の教祖の麻原彰晃の意向には逆らえず、教団は無謀な国政選挙の突入する、
その当然の散々な結果に上祐さんは内心でそれみた事かと思ったであろう、
しかしその選挙に出る事を反対し社会的政治野心も薄かったと思われる、上祐さんの性質を私が考えるに、
皮肉な事に松本智津夫より上祐さんの方がある意味で遥かに政治家向きである、
政治家に必要な条件とは何か?
それは、平気で嘘を付き、平気で心にも無い事を言い、誰にでも良い顔をして、上手く取り入り、常に計算高く、現実的で、平気で裏切る、良心の呵責が無い、
これは当に上祐さんである、
上祐さんに政治家として欠けている事はそのカリスマ性位である、あとは政治家として満点、
上祐さんは当にミニ岸である、
その上祐さんが政治家の野心など希薄な訳なので皮肉な事である、
麗華さんはお父さん譲りのその社会的上昇思考が強い様に思えるが、それは良いとしても、
その政治家の資質を自己に照らして有るか否か考えてみるべきではないでしょうか?