心理検査は不可能とあきらめた西山氏
西山氏は、父に対する心理検査は不可能と思い、心理検査を回避したそうです。
そもそも、やっていないのです。
西山氏はまた、父にもうろう状態を認めながら、自分の観察が断片的だからという理由で、結局のところそのもうろう状態を無視しました。
鑑定人を名乗っているのだから、もっと長時間観察すればすむはなしです。
さらに、拘置所の職員が不安そうに声をかけるほどの、けいれんのような発作を父に認めながら、病状において考慮しませんでした。
父の病状がまだ軽かったときの不規則発言や見当識(現在の年月や時刻、自分がどこに居るかなど基本的な状況把握)障害による発言は、「作話」と断じました。
西山氏は、父が面会時に発していた、相づちのような音については、問いと意味ある関連はなさそうだと、コミュニケーションが成立しなかったことを認めています。
父は西山氏の前でも、話などできる状態ではありませんでした。
ではいったい西山医師は168日間もかけて、何をしていたのでしょうか。
元々決まっていた結論を、鑑定書という表題の文章に押し込んだだけではないか。
論理の破たんを取り繕うための文章を考えるのに、時間がかかっただけではないのか。
そう疑われても仕方がないほど、西山医師の鑑定書は論理的に破綻し、意味をなさないものでした。