内容を吟味することなく、間違った記録に基づいて鑑定
西山氏が引用している拘置所の記録には、明かな虚偽も混ざっていました。
たとえば拘置所は、食事の際に、父がスープの一滴もこぼさずに食べると主張しています。
しかし、父は目が見えないため、こぼすことはしょっちゅうでした。家で食事をするときは、あらかじめ服が汚れないよう、バスタオルを胸元やひざにかけたものです。
父の手を持って、おはしやフォーク、スプーンの位置を教えるのも、そばについている介助者の役目でした。
拘置所は第三者の目に触れない密室です。いくらでも記録をねつ造することができます。
拘置所にとって、父が重篤な病気のまま放置されているというのは、体面にかかわります。
しかも、父は最初から重篤だったわけではなく、時間をかけて病状を悪化させてきました。
しかし、もし父を「詐病」という結論に持って行けるなら、治療をせずに症状を悪化させたと責められることもありません。
つまり、拘置所は父にとっては少なくとも、公平な機関とはいえないのです。
その拘置所の報告内容が正確であることを当然の前提として、西山氏は鑑定を行っていたのです。
西山氏は、なぜ公平とはいえない拘置所などの記録ばかりを引用し、自身でしっかりと鑑定しなかったのでしょうか。
西山氏が適正な鑑定をしようとするなら、自分の目で食事中の父の様子を見る機会など、いくらでもあったはずです。