三権分立は本当だと思いますか?

三権分立は本当だと思いますか?

こんなことを書くと、裁判所はそんなことはしない。
裁判は公平だとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
――1989年、愛媛県の松山市で追い詰められたタイ人女性による、殺人事件がありました。
この裁判は満足な通訳もないまま進められました。
支援団体は、タイ人通訳人を補佐するタイ語に堪能な日本人通訳人を法廷に配置するよう求めましたが、裁判長には届きませんでした。
判決時、裁判長は、
「判決理由の補足説明については、通訳の必要はありません。検察、弁護人、日本語のわかる傍聴人は聞いてください」
と言い放ちました。
「補足説明」は長く、法廷内でそれが理解できない者はただひとり、被告人だけだった(深見史著:『通訳の必要はありません』)そうです。
裁判所は、一体どこをむいて裁判していたのか。
検察、弁護人、傍聴人のためのものだったのか。
父の裁判でも、まったく同じことが行われました。
裁判所は、差別しても批判されない相手に対しては、まっとうな手続きすら取ることを厭うのです。
そもそも、三権分立とはいわれていますが、裁判所は決して独立した機関ではありません。
最高裁判所の長官は内閣が指名、裁判官は内閣が任命します。
下級裁判所の裁判官は最高裁判所が作成した名簿によって、内閣によって任命されます。
つまり、三権分立どころか、時の政治の影響を強く受けるのが、裁判所という組織です。
実際、一時期、国家体制に都合の悪い判決が相次いだあと、内閣は政策に理解を示す傾向の強い最高裁判所長官・裁判官を指名・任命するようになりました。
また、長沼ナイキ訴訟を担当する札幌地裁の福島重雄裁判長に対して、同地裁の平賀健太所長が、判決の方向性を指示する書簡を交付した『平賀書簡事件』をはじめとして、個々の裁判官の独立を侵害する圧力が裁判所の内外からかかるようになりました。
最高裁が是認できない違憲判決などを下した裁判官が、支部の裁判所や家庭裁判所に左遷させられた例は枚挙にいとまがありません。
これらの施策によって下級裁判所での違憲判決は抑制されるようになりました。
つまり、裁判所は政治的な動きから離れたところにはなく、政治の影響を色濃く反映するところといえます。
 

三権分立は本当だと思いますか?」への2件のフィードバック

  1. 工藤会を考える、

    北九州の広域指定危険暴力団の工藤会が警察の締め上げで、かなり弱体化し今後の動向が注目されている、

    この工藤会に限らず、暴力団が成立、広域化するには、警察なり政治家との関係が不可欠である、

    実際、この工藤会も安部総理との関係が取り沙汰されている、

    確かに工藤会は警察や政治家との癒着やその関係で無法な犯罪を放置され広域化しその凶悪化した。

    そして工藤会のトップはジャーナリズムでの政治を語り、中国を批判し中国領事館への攻撃などおよそ通常の暴力団の域を越えての凶悪化である、

    しかしその警察や政治家との関係や政治思考がその後に工藤会を窮地に追い込む事になる、

    策士、策に溺れると言うが、自信を磐石にする為の警察や政治家との関係もその事で凶悪化し政治思考の活動での当然に世論や諸外国からの批判から検察や警察が取り締まりを余儀なくなり

    そうなると警察や政治家からすれば、関係のある工藤会のトップは邪魔な存在となる、警察や政治家は工藤会のトップの口封じを余儀なくされこれを画策する事になる、

    実際、工藤会のトップは現在、逮捕拘留中であるが、警察や政治家からすれば、このままその公判で喋らせる訳には行かない、況してそのまま釈放など出来ない、

    拘留中に突然死か自殺か薬物投与で灰人になるか、公判で何も言えないで、無期懲役の判決で生涯を拘置所で終わらせるか、極刑判決で始末するかが都合が良い、

    これはかつてのオウム教団も同じである、東京都がオウムの宗教法人格に消極的であったのを法人格の認定に踏み切らせたのは、特定の国会の有力政治家がいた。

    しかしその国会の有力政治家はその後のオウムの騒動で政治家を辞任の詰め腹を切らされる嵌めになる、総理大臣の有力候補だったが、総理にはなれなかった。

    オウムが拡大する過程にはその様な政治家なり官僚なりの介在がある、その連中からすれば、お父さんはもはや厄介者で邪魔な存在に過ぎない、

    その結果として現在のお父さんの立場とその情況は全て必然である、

    工藤会もオウム教団も政治に関わる事で拡大したが、逆にその政治により潰され抹殺される、

    政治に関わってはいけない、政治はヤクザもカルトも呑み込みこれを抹殺してしまう、政治に関わってはいけない!

  2. 小さな命に向き合う
    新約聖書マタイ18

    お父さんの間違いは大きな命に向き合い自らその大きな命になろうとした事にある、

    大きな命とは社会でありその政治である、

    大きな命は常に小さな命を犠牲にする、
    大きな命は常に偽善である、

    大きな命は常に人を裏切る、

    大きな命は常に人を破壊する、

    麗華さんはお父さん譲りにこの大きな命に向き合い、この大きな命に入り込み、この大きな命になろうとしてる、

    間違いである、

    自らを小さな命として同じ小さな命に目を止め向き合いこれに寄り添い、共に生き融合進化を目指す事が、人間の真の意義である、

    大きな命に向き合いその大きな命になろうとしたお父さんは間違いである、

    その意味では麗華さんより四女の主張は正しい、

    お父さんの過ちを認めてその過ちを繰り返してはならない、これは綺麗事などでは決してない、

    自ら小さな命として、小さな命に目を止め、小さな命に向き合い、小さな命に寄り添い、小さな命と共に生き、小さな命と融合し進化する、創造の根源である、

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