視力があると決めつけられる理由

視力があると決めつけられる理由

しかし――と思います。
父には全盲を装う利益はありませんが、父に視力があると決めつけた人たちには、父に視力があると決めつける利益があったのではないか、と。
父は逮捕後、「早く裁判を終わらせろ」「早く殺せ」という世論の圧力にさらされて来ました。
裁判所は父が障害者であろうとなかろうと、病人であろうとなかろうと、とにかく裁判という劇を終わらせねばなりませんでした。
裁判所は父の弁護人がそろう前から、
「この事件は世界に注目されている事件である。できるだけ速やかに裁判を終えたい。裁判所としては、5年以内に判決を出したいと考えている(安田好弘著:生きるという権利)」
と言ってはばかりませんでした。
裁判官は立場上予断を排除せねばならなかったのに、裁判前から刻限を切るほどに、結論は決まっていたのです。
結果として父の裁判は、被告人である父抜きに進められました。
父の精神が崩壊し、いわゆる「不規則発言」などがあると、法廷を侮辱していると父に責任を負わせ、退廷させてきました。
その行動は「詐病を装ってまで死刑を回避しようとする、卑劣な人物」として、マスコミに報道され、マスコミの視聴率や売上げアップに寄与しました。
裁判所の行動は、マスコミによって肯定されたのです。
しかし、ここで父が全盲だったらどうなっていたでしょう。
父が全盲であれば、事件に関して父が果たした役割はなんであったのか、事実認定に時間がかかります。
時間がかかれば、裁判所はマスコミにバッシングされる。
全盲である父に障害者として必要な気を遣えば、やはり、マスコミにどうバッシングされるかわかりません。
逮捕後の父の扱われ方を見ると、父は目が見えていなければならなかったのだと思います。
 

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