塀の上を走れ(2)
戦中、戦後の食べ物の記述は、田原さんを身近に感じます。
当時の食べ物の様子がわかると、リアリティを持って感じられるのだと思いました。
わたしはおかゆやリゾットが好きですが、成長期におかゆばかりだとひもじいですね。
田原さんによると
「世の中は不条理で、矛盾しているものだというサルトルらの主張に深く共感した。選んだわけでもない不条理な世界に投げ込まれた自分が、今度は自らを投げ出して関わるというのが実存的な生き方で、フランス語でアンガージュマンと言う」そうです。
哲学書は取っつきが悪いですが、このように書かれているとなるほどと思います。
最初はこの世界に単に投げ込まれただけであり、主体的に関わることができません。
それが、徐々に徐々に主体的に関わっていくようになったという感覚がわたしにはあります。
田原さんが数行で書いていることなので「実存的な生き方」がこういう理解であっているかどうかわかりません。
不条理を自覚しながら、どのように生きるかを決めるのが課題なのかもしれません。
また、テレビ局でドキュメンタリーを本気で作成されていた田原さんの気迫を感じ、マスコミの方も本気だとわかりました。
これからは、より注意します。
現在、260ページです。そろそろわたしが生まれるころに入ります。
フェイスブックやツイッターはやらないから、ブログの方も更新してほしいとご要望をいただきました。
ブログの方も従来通り更新させていただこうと思います。
新たにブログを立ち上げてコメントをオープンにしようかと考えていたのですが、代わりにフェイスブックにしました。
コメントはオープンにしませんので、ご安心ください。
以下は、フェイスブックに投稿した画像です。
姉からフェイスブックの開設祝いに、イラストをもらいました。
美化しすぎだよー。でもありがとう。
「塀の上を走れ(2)」への2件のフィードバック
Suzukiさんよ
私は世代的には上祐さんと同じ世代で上祐さんよりちもち後なので三島由紀夫は知らない、とは言え私は上祐さんとは全く真逆な経歴だが、
三島由紀夫は確か東大卒で元大蔵官僚の芥川賞作家、中卒の私とは全く真逆な人物であり私には全く無縁である、
三島由紀夫はその華麗な経歴からかとかくこれに精通した者が何か知識階級の様に日本ではされてきた感がある、鈴木邦雄氏もその一人に思える、
以前にNHKアーカイブスで今から4~50年前の過去の記録でこの右翼の三島由紀夫と当時に日本の大学を騒がせいた左翼の全共闘の学生達との東大の保田講堂での公開討論の記録映像を観た事がある、この公開討論は当時、日本の最高の頭脳による討論と騒がれた様である、当時の最も先端的な頭脳の連中の討論だった様である、
しかしこの三島由紀夫と全共闘の学生達との討論を今の現在にその記録を観ると、右翼の三島も左翼の全共闘の学生達もその主張の内容は、単に岩波を読み漁った様な既存の哲学の内容のひたすら羅列である様にしか思えない、当時の知識人の討論の特徴でもある、
今にこれを聴くと中卒の私が聴いても極めて陳腐で今では到底に恥ずかしくて主張出来ない様な感がある、しかし当時としてはこれが社会の最も最高の討論だった訳で、今に思うと時代は変わるものである、
しかし何百年も前の事ではなくたかだか50年程前の事である、当時にこの全共闘で熱く主張していた学生は現在では官僚や一部上場企業のトップや医師や弁護士会の重鎮なはずである、
つまり社会の知識の風潮やその内容の意味や価値は短期間で目まぐるしく変わり過去に持て囃された内容は現代では通用しない価値が無い、
今、社会や政治や憲法のあり方をいくら熱く考え語っても30年後にはその内容は陳腐と化して無意味な内容になる、他の欧米と比べ基礎の弱い日本はそのサイクルが比較的に速い、
そして50年前に日本の最高頭脳であった三島由紀夫とその縦の会の結論として極めて不毛で自滅の最後の事実から、いかに持て囃されても要するにはその内容だった訳である、
一水会がこの三島由紀夫の子供でその縦の会の分派ならそれはそう言う事に過ぎない、
毎日暑い、そんな時は日本の夏の風物の怪談、東海道四谷怪談、背筋の凍る怖いお話、2~3日はクーラ要らず、