鈴木邦男さんとの対談(3) (少しだけ元少年A 『絶歌』について)

鈴木邦男さんとの対談(3) (少しだけ元少年A 『絶歌』について)

 緊張することが立て続けにあったため、少々疲れ気味でしたが、やっと落ち着いてきました。
 「トークイベントに出席したかった」とのコメントをいただいております。ありがとうございます。今回は主催者の方のご友人とフェイスブックの友だちのみというくくりで募集しました。募集人数も少なかったために、あっという間に募集締切りになってしまいました。
 今後はコメントをくださっている方には、メールでお知らせしようと思っています。是非ともご参加ください。
 今回は、鈴木さんとのお話の第3回目です。
前回、鈴木邦男さんとの対談(1)で、鈴木邦男さんの著書『失敗の愛国心』をご紹介しました。
【増補 失敗の愛国心】http://www.amazon.co.jp/dp/4781690343
この本には、多くの響く言葉があります。
 「黒い車の上で、怒鳴っている。車を走らせながら、大音響で軍歌をかけている。赤信号でも渡っている。それでいて、『一般車両は止まりなさい!』などと言っている。『自分たちは愛国運動をしているんだ。一般の人とは違う』という思い上がりがあったんだ」
 これはそのままぴったりオウムに当てはまります。愛のため、救済のため、他の人のため、という押しつけはなかっただろうか。いや、あっただろうと。
 あのころは幼かったけれど、わたしも押しつけをする心がありました。他人に迷惑をかけることに鈍感になっていたように思います。それもその人のためという思い込みで。今となって思うのは、自分のために、自分がしたいからしているのだという自覚が大事だったのではないかということです。人のためというのは、結局、責任を自分で引き受けていない状態です。
 神戸連続児童殺傷事件について、事件に至る心境などを克明に著した『絶歌』を上梓した「元少年A」。彼に対して、被害者や遺族のことを考えろという論調がありますが、わたしはこれに押しつけに似たものを感じます。「元少年A」に嫌悪感を持っているのは、自分自身ではないのでしょうか。 自分自身の責任で、嫌悪感を表現したらいいのにと思います。
 こんなマンガも載っていて、楽しい本です。本当に「愛って何だ」と考えてしまいますよね。「愛」って、恐ろしい。
 「期待というのは善意だ。いい言葉だ。しかし、善意は時として『強制』になる」
 小さいころからわたしは期待されていました。なにせ、父・麻原彰晃(松本智津夫)の娘ですし、「正大師」ですから。教義的には、苦しみを越えた存在でなければならなかったのです。
 実際は苦しいのに、演じてしまう自分がいました。演じないと捨てられてしまう。見捨てられるのが怖い。そういう気持ちでした。福島県いわき市で暮らしていた1997年ごろ、杏里の『オリビアを聴きながら』が好きでした。疲れ切ったサマナたちがわたしを正大師ゆえに頼っていると感じていて、「疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの」という歌詞に、自分の状況を重ね合わせていたのです。
 本当のわたしではなく、「正大師」が何とかしてくれるだろうという期待感。これは重く悲しく、また寂しくて、大変でした。本当の自分がばれたら確実に捨てられる。そういう確信がありましたね。
――しかし、もっとも悲しいのは、自分がそうやって「期待」に「強制」されて苦しんでいたのに、周りの人にも同じようなことをしてしまっていたことです。こういう人であってほしい。こういうするのが正しいはず。そういうわたしの期待を通してしか人を受け入れられず、大切にすることができませんでした。そのことを思い出すと胸が締め付けられます。
 今でも、「期待」してしまうことがありますが、少しずつ減ってきています。いつか「期待」なく人と関われるようになったら嬉しいです。
 「僕らがこの日本に生まれたのは単なる偶然だ。砂漠の国や、氷の国、山岳の国に生まれたかもしれない。でも、どんな環境でも人々はがんばって生きているし、その中で、自分たちの生活へ愛着もわくだろう。友だちもできるだろう。それが自然だし、それでいい」
 読んでいて胸が熱くなりました。幼いころは、国というものがなにか分からなかったという鈴木さん。ただ故郷(くに)を大切に思っていたそうです。自分の見える世界が、自分がお世話になった世界が大切だったのだ。そんなことを書かれています。誰もがみんな、それぞれに自分の生まれ育った故郷を大切に思っていると。だから、わたしが父を大切に思う気持ち、オウムに対する郷愁もすんなり受け入れていただけたのかなと。例えばの話ですが、鈴木さんがオウムに生まれたら、やはりオウムのことを故郷として大事にされたのではないでしょうか。
 「右翼の人間にも左翼的(革新的)な部分はある。逆に、左翼の人間にも右翼的な(保守的)な部分があるだろう。それなのに『俺は右しかない』『俺には左だけだ』といまだに叫ぶのも嘘くさい」
 1995年の強制捜査前は、「オウムが絶対だ!」「オウムが全てだ!」「尊師のためなら何でもできる」 こういう言葉を発する人がたくさんいました。わたしは、〈本当かな?〉と思っていました。逆に、事件後、「麻原は詐欺師だった」「オウムに騙された。良いところはなにもなかった」という話も〈本当かな?〉と思っていました。
 父に欠点はあったでしょう。でも、同時に長所もあったでしょう。だから、出家者約1500名、信徒数は海外含めて3万名以上もいたのではないでしょうか。
 例えば、すべてに革新的な人はいないだろうし、すべてに保守的な人もいない。一人の人の頭の中で、ここは保守的だけど、ここについては革新的だ、などといろいろな思想があるのでは? 二極的な考え方がある場合、人は一極を選んで極端に走るけど、実際には両方の考えが一人の中にあるんじゃないの? 子どものころからそういうことを考えていたので心に入ってきましたね。その通り!って。真実味があるなぁと。
 今回はこの辺で。鈴木さんのお話はさらに続きます。
 

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