7月13日(水) 第23次笑の内閣 『ただしヤクザを除く』公演にお邪魔します。
7月13日(水)に、こまばアゴラ劇場で行われる、第23次笑の内閣の『ただしヤクザを除く』のアフタートークで鈴木邦男さんとご一緒させていただきます。
第23次笑の内閣のHPから
表現規制問題やネット右翼、風営法問題、女性差別問題など、数々の社会問題を嘲笑ってきた関西きってのアナーキー劇団、笑の内閣。
今度のテーマは、ヤクザの人権?!
保険も入れん、家も借りれん、銀行口座も作れん、こどもは幼稚園から入園拒否…。
いくら悪党相手だからって、好きでヤクザになったからって、ヤクザに人権は認められないのか…?
笑の内閣最新作は、暴力団対策法や暴力団排除条例によって引き起こされる「ヤクザに対する人権侵害」を描く、良い子のための人権啓発コメディ!
第23次笑の内閣『ただしヤクザを除く』
作・演出=高間響
東京公演
日程:2016年7月13日(水)〜18日(月・祝)
会場:こまばアゴラ劇場(http://www.komaba-agora.com/ )
公演の詳細は、こちらをご覧ください。
http://warainonaikaku.sitemix.jp/yakuza.html
『ただしヤクザを除く』の公演のテーマは大切な問題です。
この「ただしヤクザを除く」という考え方は、とても危険なものです。「ヤクザが相手なら何をやってもいい」から、「あの人は変な人だから、何してもいいよね」と対象の範囲がどんどん大きくなっていき、多くの人々の人権が奪われてしまうかもしれません。
人権とは「人間が人間らしく生きるために生来持っている権利(大辞林)」です。つまり、どのような思想信条を持っていても、必ず、人としての権利が守られなければならないのです。暴力団対策法や、暴力団排除条例によって規制する対象が、だんだんと拡大されていくことが懸念されます。(実はわたしはこの法律ができてから、銀行口座を作るのを断られました)
この公演を機会に、暴力団対策法について考えてみてはいかがでしょうか。
ぜひ、お越し下さい。
クイズ
ただし、○○○を除くって身に覚えがありすぎる。さて、○○○に入る言葉は何でしょうか?
「7月13日(水) 第23次笑の内閣 『ただしヤクザを除く』公演にお邪魔します。」への6件のフィードバック
私は「○○○」がだいたい二つか三つあてはまるかな。
就職と恋愛関係で引っかかることが多いな。
でもたいしたことない。
かな。
この話題に、麗華さんが出るのは意味深いと思います。暴対法の前には、「オウム新法」がありますね。
少し話が長くなりますが、私は一連のオウム真理教事件の時には、「破防法」か「内乱罪」できちんと裁判をすべきだったと思います。その理由は、一つは組織として裁くべきことを行った後、個人の罪を裁くという順序が妥当と考えるからです。まともな宗教の師弟関係なら、個人裁判における弁護の過程には耐えられないでしょう。(自分の弁護は、師弟間の罪のなすりあいになる)
しかしもう一つ大事なことは、事後立法で裁く、規制するということです。これは、本来法律の運用としては、禁じ手です。後から法律を作って罪に落とす。これは、法治国家では許されることではない。
しかし、当時の「空気」では、オウム真理教なら、仕方ないという流れでした。
そして、現在に至ると「暴力団対策なら仕方ない〜〜」となっているではないでしょうか。一連の流れに対し、麗華さんは発言資格があると思います。
ヤクザに人権か有るか否か?言うまでもなくヤクザには人権など無い!
これはこの対策法や排除条例以前の事として暴力団内部の事としてヤクザには人権など認められていない、
そりがこの対策法や排除条例により社会においてその行き場や住む場所を失ったに過ぎない、
そもそも法律以前の事としてヤクザに人格を認める要素は無い、
ここで問題とされる憲法なり人権はあくまでそのヤクザがその組織を離脱しヤクザを辞める前提におけるその人権なり権利の事であり、
ヤクザを続け人権や権利を主張する事は詭弁であり憲法や法律の悪用に過ぎない、
ヤクザがいかに麻薬撲滅などを声高に主張ししきりに世間にこれ見よがしに震災復興のボラティアのパフォーマンスをしよいとも、
麻薬犯罪やオレオレ詐欺や人身売買の犯罪の殆どはヤクザかこれに繋がる連中の警察とつるんでのその利権である事は誰もが知る厳然たる事実である、
伝統的にヤクザがこの日本におけるお上なり警察の利権の使い捨ての下請けである以上はヤクザにその人権など無い、
答えはやっぱり、「全人類」だね。(笑)
オウム、アレフ、光の輪、警察官、検察官、裁判官、共産党、自民党、公明党、民進党、まあ、大抵のものは3文字にまとまるな。
民主主義というのは、個々が主という意味ではなく、個の”総意“を得られた場合、憲法だとしたら国民投票の半分以上の賛同を得られた場合、民意の反映として法に定め、権力を規制する為に機能させることが出来る制度です。
個々が勝手に主張していいわけではない。当たり前ですが。
総意が何かを知る為に個々の一票が重要な意味を持つわけです。
これによって、個人的感情、セクト内の力関係、権力者の暴走等の偏った意見を減らすことが出来、バランスが取れる。
ですから、総意として決まった憲法(基本的人権)に対して「法律以前に人権などない!」と、個人的感情で勝手に書き加えていくゴラスさんの意見はテロ思想です。
…この人は光の輪を信奉しているスタンスのおかしな人なので、そこは心得て貰いたい。
元オウム信徒への差別と暴力団排除を一緒にしてはいけない、
オウムでのその信徒はその大半が何らの犯罪者ではない!むしろ財産とキャリアを失ったその被害者である、犯罪者を志しオウムに入信した者はいないはずである、
それに対しポーイスカウトや村の青年団に入るつもりで山口組の構成員になる者がいるであろか?いるはずはない!
ヤクザになる者はあくまで犯罪者になる事を意識してそのヤクザになり暴力団の構成員になるのである、
つまりヤクザは犯罪者の確信犯である、
ヤクザなればカッコいい、高級車に乗り良い格好をして旨いもんを喰い、高い酒を飲んで、いい女を抱ける、
その為には警察を抱き込んで麻薬犯罪も賭博開帳も恐喝も詐欺も何でもやるぜ!
これがヤクザになる動機とその心情である、
実際にそんなヤクザの親分の姿にその子分のヤクザは憧れるのである、おれもいつかはああ成ってやるとね、
そのヤクザの暴力団に憲法の結社の自由かあらるであろか?暴力団は労働組合や宗教団体ではないのである!
暴力団はあくまで犯罪者の集団でありそのヤクザが結社の自由や人権を主張する事は憲法の悪用に他ならない!
暴力団のヤクザが人権を主張出来るのはあくまでヤクザを辞めて暴力団を離脱しその後の人生においてである、
ヤクザを続けながらその人権の主張は決して出来ない!