家族であるわたしたちですら、詐病だと思っていました

家族であるわたしたちですら、詐病だと思っていました

父は1995年5月16日に逮捕されました。
逮捕後はすぐに接見禁止をつけられ、弁護人以外誰も接見ができなくなりました。
家族にできるのは差入れのみでしたが、父からは当初、食品などの差入れ依頼や、お礼などもありました。
しかし、1996年の11月以降、I証人への弁護人反対尋問があった頃から、明らかに精神に変調をきたし始めました。
法廷におけるいわゆる「不規則発言」がはじまり、1997年のはじめには、差入れ品が入らなくなりました。
差入れ品を受け取るには、本人の意思表示が必要ですので、この頃には既に意思表示ができない状態だったのだと思います。
それに加え、同時期に弁護人も接見ができなくなりました。
その後、一審判決確定、即日一審弁護人が控訴、即日控訴審弁護人の選任などがありましたが、すべてが父の意思が介在しないまま行われました。
実は、父の不規則発などが報道され始めたころから、2004年に逮捕後はじめて父と接見するまで、実の子どもであるわたしたちでさえ、父はずっと詐病であると信じていました。
優しく尊敬していた父親が精神を病んでいると認めるのはつらいことでしたし、逮捕後、わたしより間近で父を見ていた裁判官やマスコミの方々が、父を詐病と扱っていたからです。
しかし、実際に会ってみると父は報道と違い、完全におかしく、素人目に見ても心神喪失だろうと思える状態でした。
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です