人の方を向くと受け答えができたことになる?
裁判所は父が相づちをして会話が成り立ったとする以外にも、父が裁判所側の列席者の紹介をされる際、そちらの方を見るという「受け答え」をしたと主張したと聞いています。
ゆえに、盲目という印象は受けなかったと。
父は全盲です。
父の身辺で介助し、生活を助けてきたわたしからすると、父に視力があるというのは、空想にすぎません。
勝手に父に視力があると決める裁判所は、医者なのでしょうか。
検査をしたり、長い間父を見たりして、視力の有無を正当に判断したのでしょうか。
そもそも、ある方向を向くことを、「受け答え」とこじつける裁判所の対応に、疑念を抱かずにはいられません。
広辞苑によると、受け答えとは、「話しかけられ、または問いかけられて答えること。応答」と書かれています。
何かを見ることは、日本語的には"受け答え"とは言えません。
ここまでのこじつけを行わねばならなかったところに、わたしは裁判所のあせりを感じてなりません。
さらに裁判所は、父が「弁護人」という言葉に対して、笑いで答えるというのが特徴的だったと主張したそうです。
父は正常であり、意思疎通ができないのは、相手が「弁護人」だからであると、理由付けをしたかったのでしょう。
しかし、家族とも意思疎通ができていない以上、それらはこじつけに過ぎません。
父は,誰の前でも,どんな言葉を聞いても,あるいは何も聞かなくても,一人で脈絡もなく笑い,相づちを打ち続ける状態なのです。