治療して欲しいという思いが……
2004年12月20日、裁判所が「手続き教示」と称して父と面会し、父が正常とこじつけようとした10日後――わたしたちは、父が病気であると、記者会見しました。
問題は、精神科医の意見書を無視し、医者でもないのに「診断」する裁判所だけではありませんでした。
東京拘置所もまた、わたしたちが接見したときの「記録」を、わたしたちが父と意思疎通ができているかのように創作し、裁判所に提出していました。
わたしたちには、もう黙っていることはできませんでした。
沈黙すれば沈黙するだけ、さまざまな虚偽の事実をねつ造されていくことは、火を見るより明らかでした。
父は詐病ではなく、おむつを着けられ排泄すら自分でコントロールできない、重篤な病人です。
本当のことを公にして、治療をしてもらいたいと思いました。
家族としてそれぐらいしか、病気の父を治してもらう手立てを思いつくことができませんでした。
このままでは、父は政治的に「正常」と扱われ、治療もまともな裁判も受けられずに、抹殺されてしまいます。
――ところが、記者会見の直後、東京拘置所による接見の妨害や嫌がらせがはじまりました。
父の状態を外部に発表したことが、許せなかったのでしょうか。